2021/05/24
古典入門 百人一首カルタ【第8回】
春もあっという間に過ぎ去り、そろそろ梅雨の季節がやってきますね。雨というのはジメジメとした暗いイメージがつきものですが、私は案外、静かな室内で雨音にじっと耳を傾ける時間を好ましく感じます。雨のみならず、水の音というものは不思議と心を落ち着かせてくれるように思います。雄大な自然の中で聞こえてくる川のせせらぎや、迫力ある滝の音もまた、私たちの心に訴えかけ、癒し、響かせる何かがあります。
今回取り上げる歌は、そんな川の流れに自らの恋心を託して読まれたロマンチックな恋の歌です。その背景には素敵な恋の物語があると言われていますので、ぜひじっくりと味わいながら鑑賞していきましょう。
「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」
(現代語訳)
筑波山の頂上から流れ落ちる男女川(みなのがわ)が、細い水流から徐々にその水量や勢いを増してやがては淵になりゆくように、私の恋心も少しずつ募って、今では淵のように深くなっている。
文法と語彙
文法
・「峰より」の「より」は起点を表す格助詞の「より」です。格助詞は、体言すなわち名詞や活用語の連体形に接続します。この場合は峰という体言に接続し、峰を起点としてそこから、という意味になります。
・「落つる」は上二段活用の動詞「落つ」の連体形です。すぐ後の「みなの川」という体言に接続しているため、連体形に変化しています。
・「恋ぞ」の「ぞ」は強意の意味を持つ係助詞です。係り結びの法則によって、後の「なりぬる」の「ぬる」の部分に係り、「ぬる」を連体形に変化させています。
・「つもりて」の「て」は単純接続の接続助詞です。
・「なりぬる」の「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形です。「ぬ」は連用形接続の助動詞であるため、直前の「なる」は連用形の「なり」に変化しています。また、先述の通り係助詞の「ぞ」が係りむすびを起こしているため、末尾が終止形の「ぬ」ではなく連体形の「ぬる」に変化しています。
語彙
・「筑波嶺」は常陸国(今でいう茨城県)の筑波地方にある筑波山のことを指します。この筑波山は、山頂部分が男体山と女体山に分かれていることから、古来より歌に詠み込まれてきたと言われています。それぞれの頂にはそれぞれ男女柱の神が祀られています。
・「峰」は山の頂上を指す言葉です。現在でも使われている語なので聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
・「みなの川」とは、「男女川」と表記され、筑波山の男体山、女体山それぞれから流れる川であるため「男女川」と呼ばれていると言われます。この川は流れ落ちて大きな河川と合流し、霞ヶ浦に流れ着くことから、ここまでを「淵」に繋がる序詞として用いられています。序詞とは、ある言葉に類似する、あるいは比喩的な表現などをその言葉の前に並べることで、言葉を導き出す和歌の表現技法です。長さや表現に決まりはないため、この歌では大半の文字数が序詞にあてられています。
・「淵」とは川が流れていく途中で水流が溜まって深くなっているところを指します。この歌の場合は実際の淵の意味と、深くふりつもる恋心の比喩の意味で用いられています。
歌の背景と鑑賞
それでは、鑑賞に入っていきましょう。
この歌の作者は
このように若くして譲位となってしまった背景には陽成天皇の
さて、前置きが長くなってしまいましたが、この歌はそんな不遇な人生を送った陽成天皇の残した恋の歌です。
この歌が詠まれた当時、綏子内親王は陽成天皇の片思いの相手、あるいはまだ恋を育んでいる段階でした。しかし、後に綏子内親王は陽成天皇の妃となっています。幼くして重責を負わされ、殺伐とした日常を過ごす少年天皇の淡い恋心が実るまでの甘酸っぱい青春の日。その最中に詠まれた歌がこの歌であるとは、なんとも情熱的で若さに溢れたことでしょうか。
下流に行くにつれどんどんと早く激しく深くなっていく川の流れ、その行き着く先である深くたまった湖に託し、「恋ぞつもりて」と強く恋心を吐露する表現は、聴く人の心を揺さぶります。淡かった恋心がだんだんと深くなっていくその過程には一体何があったのか。ロマンチックで心浮き立つような恋物語の妄想が広がるようです。
いかがでしたか。
毎度歌の中で用いられている文法事項をなるべく詳しく解説していますが、これは歌を知り、覚えることで同時に文法も覚えられるように、との思いで書いています。係助詞や助動詞など、重要表現を何度も取り上げていますので、用法と意味を合わせて覚えられるように頑張ってみてください。
今回の歌の作者である陽成天皇は、策略にまみれたままならぬ人生の中で恋をし、それを叶えた人物です。今もなお感染症の影響は続き、我々もままならぬ日々を過ごしていますが、恋を叶えた陽成天皇のように何かいいことが起きると信じて、状況に応じた行動を続けていきたいものです。
<文/開成教育グループ 個別指導部 フリステウォーカー講師編集部:浅田 朋香>