2021/10/25

古典入門 百人一首カルタ【第13回】

10月も終わりに近づき、暑い日々が続いていた気候もようやく秋らしくなりましたね。10月の末にはハロウィンがありますが、皆さんはハロウィンを楽しむ派でしょうか。それとも、意識せずに過ごす派でしょうか。私自身はあまり意識していない側なのですが、高校時代は学年単位でお菓子交換をしたり、仮装してくる子がいたりとイベントの一つとしてそれなりに楽しく過ごしていました。

そんな風に、今となっては日本でも楽しいイベントとして親しまれているハロウィンですが、元々はこの世に戻ってくる霊を迎える宗教イベントとして生まれた行事であると言われています。仮装やジャックオランタンの由来もここにあり、家族の霊と共にやってくる悪霊を威嚇し追い払うために行われていたことだそう。日本でいうお盆のようなものでしょうか。未練を残した霊にこの世に残られてしまっては、生きている人々にも悪影響があると考えられていたのでしょうね。

ところで未練というのは、死んだ魂のみならず、生きている人ももつものです。とくに恋愛関係においてよく使われる言葉であるように思いますが、恋愛が多く詠みこまれた百人一首の中にも当然、未練を詠んだ歌があります。今回紹介するのはそんな恋愛における未練や、浮気者の男への皮肉を詠んだ歌です。解釈によって作者像がガラリと変わる面白い歌ですので、楽しく鑑賞していきましょう。

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「忘らるる 身をば思はず ちかひてし 人の命の 惜しくもあるかな」

(現代語訳)
あの人に忘れられてしまう私のこの身については何も思わない。ただ、ずっと私を忘れずに愛し続けると神に誓ったあの人の命が、神の罰によって失われてしまうことが惜しくて仕方がないのです。

文法と語彙

文法

・「忘らるる」の「るる」は、受け身の助動詞「る」の連体形です。「る」は未然形接続の助動詞のため、直前の動詞「忘る」が未然形に変化しています。

・「身をば」の「を」は格助詞、「ば」は強意の係助詞です。「ば」は係助詞「は」が濁音化したものです。

・「思はず」の「ず」は打消の助動詞「ず」の終止形です。「ず」は未然形接続の助動詞のため、直前の動詞「思ふ」が未然形に変化しています。また、ここで終止形が用いられていて意味が区切れているので、この句は二句切れです。

・「ちかひてし(誓いてし)」の「て」は完了の助動詞「つ」の連用形、「し」は過去の助動詞「き」の連体形です。「つ」も「き」も連用形接続の助動詞のため、それぞれ直前の語が連用形に変化しています。さらに、「ちかひてし(誓いてし)人」と体言に繋がるため、「き」は連体形に変化しています。

また、完了の助動詞と過去の助動詞を並べて用いるときには、必ず完了→過去の順番になります。

・「惜しくも」の「も」は強意の係助詞です。

・「あるかな」の「かな」は詠嘆の意味の終助詞です。

語彙

・今回の歌は、用いられている語彙そのものは比較的簡単で、現代語と同じ意味のものがほとんどです。特段取り上げて解説すべき語彙はないので、鑑賞の中で意味を掘り下げていきます。

 

歌の背景と鑑賞

鑑賞に入っていきましょう。この歌の作者は、右近です。右近少将という役職についていた藤原季縄を父に持ち、醍醐天皇の妃である中宮穏子に仕えている女房でした。平安時代の女房の名は父や夫の役職を用いて表されることが多かったため、右近の名も父の役職である右近少将から取られたものです。

右近は、元良親王や藤原敦忠をはじめとするさまざまな男性と恋愛をしていたと言われています。少なからず重ねてきた恋愛の中で、彼女はどんな気持ちでこの歌を詠んだのでしょうか。

この歌の解釈には二通りあると言われています。一つ目は、歌意の通り、自分を顧みずに相手の身を案じる、やや重くすら感じるほど健気な思いを詠んだという解釈。二つ目は、皮肉を多分に含み、一時は愛した私を捨てるなんてあなたが不幸にならないかしら、という強(したた)かな思いを詠んだという解釈です。

おそらく当時実際にこの歌に読み込まれていた意図としては、前者の健気な思いを詠んだという解釈だったのではないでしょうか。平安時代の恋愛中の女性達は、毎夜恋人が訪れてくるのを待つ他に恋人と逢う機会はありませんでした。今日は訪れてくれるのか、それとももう飽きられてしまったのか。相手を信じながらも浮気の噂に心を乱す彼女達が、相手の心を確認する数少ない手段の一つが歌だったのです。相手の身を案ずる文面の中に「捨てないで」という未練や切ない恋心を忍ばせたと考えるのが妥当ではないかと思います。

しかし私個人としては、二つ目の解釈をとても好ましく感じます。他の女性の元へフラフラと行ってしまった浮気性な恋人に、痛烈な皮肉をかます歌を送るなんて、強(したた)かで格好いい女性ですよね。

 

いかがでしたか。

今回の歌は、歌の意味をどのように捉えるかによってその意味が変わってしまう歌でしたが、こうしたことは日常生活の中でもよくあることではないでしょうか。直接会う機会が減り、文面でのコミュニケーションが増えた近年においては、さらに起こりうることではないでしょうか。いいと思って伝えた言葉が悪い意味に捉えられてしまった、伝えた内容を勘違いされていてトラブルが起きてしまった、など皆さんも経験がありますか。言葉というのは難しいものですが、上手に使って円滑なコミュニケーションを築いていきたいものですね。

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:浅田 朋香>