2021/11/22

古典入門 百人一首カルタ【第14回】

もう秋も終わりにさしかかり、冬の冷たく張りつめた空気を肌で感じる時節となりました。気温の変化が激しく、体調を崩しやすい気候が続いているように感じますが、皆様は風邪をひいたりしていないでしょうか。未だ新型コロナの影響も読みきれない日々が続いていますし、普段以上に体調管理には気をつけていきたいものです。

一時期に比べれば感染者数がグッと落ちているこの頃ですが、やはりコロナ以前ほどには外出する機会が多くない今、季節を感じることもすっかり減ってしまったように思います。道を歩いているときにふと鼻をくすぐる金木犀の香りが、今年一番秋を感じたことでした。今回紹介する歌は、せめてこの記事でだけでも最後の秋を感じようと紅葉に関するものを選びました。近年、百人一首に関わる作品のタイトルにもなった、とても有名な歌ですので、楽しんで鑑賞していきましょう。

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「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」

(現代語訳)

神代のころですらも聞いたことがない。竜田川がその流れる水を鮮やかな深紅のくくり染めに染め上げるとは。

文法と語彙

文法

・「ちはやぶる」は「神」や「宇治」、あるいは「神」に関わる単語を導く枕詞です。枕詞は以前の記事でも取り上げましたが、決まった枕詞が特定の単語を導くもので、歌全体の語調を整えたり情緒を演出したりするために用いられる技法です。

・「きかず」の「ず」は、打消の意味の助動詞の終止形です。「ず」は未然形接続の助動詞であるため、直前の動詞「きく」が未然形に変化しています。また、この「ず」が終止形であるためこの歌はここで意味が切れており、二句切れになっています。

・「からくれなゐ」の「ゐ」は歴史的仮名遣いで、読みや現代的仮名遣いの表記は「い」になります。もともと「ゐ」はヤ行のi音の発音であり、昔は発音も区別されていました。しかし、時代の変化とともに発音が変わり、今では「ゐ」の発音は消えています。そのため、現在では「い」と「ゐ」の発音は区別されていません。

・「水くくるとは」の「と」は格助詞、「は」は強意の係助詞です。

・この歌には竜田川を人のように見立てて表現する擬人法と、上二句と下三句の間に倒置法が用いられています。なお擬人法には、内容に面白みや親近感を持たせる効果があり、倒置法には印象を強めたり意味を強調する効果があります。

語彙

・「神代」は「かみよ」と読み、日本において神々が世を治めていたとされている時代のことを言います。具体的には、日本神話において天地が造られてから神武天皇が即位する前の時代のことを指します。

・「竜田川」とは、現在の奈良県生駒市から流れる川のことです。今でも紅葉の名所として知られており、着物の柄にもなっています。

・「からくれなゐ」は漢字で「唐紅」と表記され、日本の伝統色の一種である鮮やかな深い赤色のことです。「韓紅」と表記されることもあります。唐紅は大陸から伝来した色であり、当時の「唐」すなわち中国から来たとも「韓」すなわち朝鮮半島から来たとも言われるため、このような表記となったと言われています。

・「くくる」とは、くくり染めや絞り染めと呼ばれる着物の染めの技法のことです。絞り染めとは、布の一部を糸でキツくくくることによって、その部分に染料が染み込まないように染める方法です。川面を覆う紅葉のところどころに隙間がある様を表現していると考えられます。

歌の背景と鑑賞

それでは、鑑賞に入っていきましょう。

この歌の作者は、在原業平です。平城天皇の孫にあたり、百人一首に収められている16番の歌を詠んだ、在原行平の異母弟です。非常に美男子かつプレイボーイであったと言われており、『伊勢物語』という古典作品の主人公であるとも言われています。『伊勢物語』については、高校の古典の授業で触れることになるのではないかと思いますので、その際にはこの歌を思い出しながら取り組んでみてください。

さて、映画にもなった作品のタイトルを担っていたが故に言うまでもなく有名なこの歌。口に出して読んだときの音も独特の響きを持っているので、音だけで覚えているという方も多いかもしれません。先述の現代語訳で初めて意味を知って、そんな意味だったのかと驚いたのではないでしょうか。文法的に難しい部分は多くはありませんが、二句切れだったり倒置法だったり、そこで意味が切れるのかというところで切れていますよね。このように、あらためて訳したり鑑賞したりすることによって、同じ歌でも感じ方が変わってくるのが和歌の面白いところです。

一方で、使われている語彙にまつわる背景は案外難しく、作者に貴族として相応の教養があることが伺えます。古事記や日本書紀を読んだことはあるでしょうか。世界各地に存在する天地創造の物語は、日本にもこうした神話の形で残されています。そしてそれは、実在した天皇の物語へと続いていきます。この神話の時代を「神代」と呼ぶのですが、在原業平は「神代にすらも聞いたことがない」と言えるほどにはこれらの書物を嗜(たしな)んでいるということがわかります。

また、くくり染めあるいは絞り染めという染めの手法について、皆さんはご存知でしょうか。一箇所一箇所手作業で布を糸でくくる作業は非常に手間も暇もかかるものです。今でも絞り染めの施された着物は非常に高値で取り引きされていますが、その当時も相応に高価な着物であったと言えるでしょう。水面に浮かぶ紅葉を見てこうした比喩が浮かぶほどには、常から高価な着物に親しんでいたのだろうと推測できます。

貴族らしい感性のもと、しかしどんな人にでもその光景の素晴らしさを感動を持って伝えられるだけの表現力こそが、歌の巧さ=恋愛力であった当時において、彼がプレイボーイであった所以のひとつなのかもしれません。

いかがでしたか。

この歌のような情景を実際に見たことのある人は少ないでしょう。残念ながら、私も川一面を真っ赤に染め上げてしまうほどに広がる紅葉を見たことはありません。しかし、この歌に読み込まれている竜田川は、今も紅葉の名所として存在しているそうです。今年はもう見頃は終わってしまったかもしれませんが、また来年にでも、ぜひ見に行ってみてはいかがでしょうか。

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:浅田 朋香>