2021/12/20
古典入門 百人一首カルタ【第15回】
時が経つのは早いもので、もう12月も半ばを過ぎました。寒い日が続いていますが、これからもっと寒い日もあるのだと思うと少し憂鬱な気持ちになってしまいます。
12月といえば、もうすぐクリスマスですが、皆さんはもう予定が決まっていますか?受験生の皆さんはクリスマスどころではなく勉強に追われていることでしょう。もう少しでそんな苦しい時間も終わりですから、最後の正念場だと思って頑張っていきましょう。
今回取り上げる歌は、少し時期が遅いですが寒くなってきた冬の初めの頃の景色を読んだ歌です。情景を思い浮かべながら味わっていきましょう。
「心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置き惑わせる 白菊の花」
(現代語訳)
もし折るのなら、あてずっぽうに折ってみようか。真っ白な初霜がすっかりおりてしまって、白菊の花と見分けがつかなくなってしまっている。
文法と語彙
文法
・「心あてに」の「に」は格助詞の「に」です。
・「折らばや」の「ば」は未然形に接続しているので順接仮定条件の接続助詞、「や」は疑問の係助詞です。「ばや」には①願望の終助詞の場合と、②接続助詞と係助詞がくっついた形の場合がありますが、今回は②に当てはまります。ほとんどの場合、「ばや」が文末にあるかそうでないかで識別します。「や」は係り結びをおこす係助詞なので、後ろの「折らむ」の活用形が変化しています。
・「折らむ」の「む」は意志の助動詞です。係り結びがおきているため、終止形ではなく連体形に変化しています。
語彙
・「心あて」とは、当て推量という意味です。すなわち、あてずっぽうという意味になります。
・「初霜」とは、現在でも使われている言葉ですが、その年に初めておりた霜のことをいいます。比較的都会に住んでいると見ることもあまり無いですが、白くみえる氷の粒のようなものが植物などについているのが霜です。
・「置き惑わせる」の「置く」は、霜がおりていることを指しています。「惑はし」は、物事をわからなくさせることをいいます。
・「白菊」とは、菊という花の一種で、花が真っ白な色をしているものをいいます。
歌の意味と鑑賞
では、鑑賞に入っていきましょう。
この歌の作者は、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)です。宇多天皇や醍醐天皇らの時代に生きた人で、紀貫之らとともに当時の歌の名手として知られています。古今和歌集の撰者にも選ばれていました。
皆さんは、霜を目にしたことがあるでしょうか。私自身ここ数年は見た記憶がなく、意識していないからかもしれませんが、今となっては珍しいものなのかもしれないなと思います。この歌に詠まれているような真っ白になるほど霜がおりて、白い花と見分けがつかない状況というのは夢のまた夢といったところでしょう。とはいえ、歌というのは往々にして情景を大袈裟に詠んでいるものですので、実際にはそこまで凄い霜ではなかったかもしれませんが。
ところで、菊は日本の国花であると言われていることをご存知でしょうか。皇室の紋章にその花が用いられていることから、そう言われています。その一方で、白菊は葬儀でよく使われる花であるため、不吉な印象を持たれる人もいるかもしれません。しかし、この時代において菊は新しく入ってきた輸入花であったと言われます。古今和歌集以前は歌の中に登場していない菊というのは、この時代に歌を作った人々にとっては時代の先を行く人々であったと考えることもできるでしょう。そう考えると、歌の見え方に新たな側面が生まれませんか。
白い花というのは、穢れのない純真さを表します。真っ白な菊の花と霜の美しさや、それを手折ることの高揚感を詠み込むことの情緒は、この歌の美しさや味わい深さを生み出しています。
その一方でこの歌は、その当時、まだ簡単には手に入らない白菊がたくさん咲いた庭を持つ、優雅で裕福な貴族だからこそ読める歌であるとも言えるのです。。霜の中であてずっぽうに折ることのできる状況というのは権威の証であるようにも思えます。当時の日本において、歌が上手いということは出世への道でもありました。そんな重要な鍵を握っている歌の中に白菊を読み込むというのは、自らの財や権力を見せる意図も感じられます。少し俗っぽい解釈ではありますが、こんなふうに歌を読むのもたまにはいいのではないでしょうか。
いかがでしたか。
いつもとは少し違った観点から違う解釈で歌を読み解いてみました。
作られた当時の作者の想いは、今となっては誰にもわからないものです。色々な角度からいろんな読み方ができるのも和歌の面白さの一つと言えるでしょう。
それでは、良いお年をお過ごしください。
<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:浅田 朋香>