2022/01/24

古典入門 百人一首カルタ【第16回】

年が明けましたね。良い年末を、そして良いお正月を過ごすことは出来ましたか。私は美味しいものを食べ過ぎて少々体重が増えてしまいましたが、楽しいお正月になりました。正月は日本で最も古い行事であると言われており、百人一首の最初に収められている歌が詠まれた天智天皇の時代よりも古くから存在したとも言われます。伝統よりも革新を求める風潮の強い近年に於いてもこうした伝統行事が継承されているというのは、とても素敵なことだなぁと思います。

今回取り上げる歌は、和歌の世界で伝統的に用いられてきた手法である「本歌取り(ほんかどり)」を用いて詠まれた歌です。元となった歌も合わせて紹介しますので、違いを楽しんでみてください。

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浅茅生(あさぢう)の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき」

(現代語訳)

浅茅(あさじ)がわずかに生えている篠竹の野原ではないが、密かに耐え忍んでいても想いが溢れてしまうほど、どうしてあなたのことが恋しいのだろうか。

文法と語彙

文法

・「しのぶれど」の「ど」は逆説確定条件の意味で用いられる接続助詞です。「ど」は已然形接続の助詞なので、直前の上二段活用の動詞「しのぶ」が已然形に変化しています。

・「あまりて」の「て」は、単純接続の意味で用いられる接続助詞です。

・「などか」の「など」は副詞、「か」は係助詞です。「どうして〜か」という疑問や反語の意味で用いられます。

・「人の」の「の」は、主格の格助詞で「〜が」と訳されます。

・「恋しき」は形容詞「恋し」の連体形です。文末にあたるため本来ならば終止形になりますが、前に係助詞の「か」があるため、係り結びを起こして連体形に変化しています。

語彙

・「浅茅生(あさぢう)」とは、「浅茅(あさじ)」の「生」えている場所という意味です。「浅茅(あさじ)」は背の低い茅(ちがや)のことで、茅葺き屋根の建物の屋根に使われている、イネ科の植物のことです。

・「小野」とは、野原のことです。この場合の「小」は接頭語で、音の調子を整えるのに用いられています。

・「篠原」とは、細くて背の低い「篠竹」と呼ばれる竹が茂る野原のことです。

・「しのぶ」は漢字で書くと「忍ぶ」となり、「耐える、我慢する」という意味の動詞です。もう一つ、「偲ぶ」と書く「しのぶ」もありますが、こちらは「賞美する」あるいは「思い出す」と訳され意味が異なるので、注意してください。

・「あまりて」は直前の「しのぶれど」を受けて「忍びあまりて」の意味に繋がり、「耐え忍んでいる思いが我慢できないで」という意味になります。

・「人」は、この場合「想い人」「好きな人」の意味で用いられています。

歌の意味と鑑賞

それでは、鑑賞に入っていきましょう。

この歌の作者は、参議等(さんぎひとし)です。嵯峨天皇のひ孫にあたり、源等(みなもとのひとし)とも呼ばれています。参議は宮廷内での役職名であり、百人一首には役職名で歌が収められているということになります。参議等は歌ではあまり有名ではなかったようで、4首ほどしか残されていません。

さて、この歌は「本歌取り」という手法を用いられた歌であると紹介しましたが、「本歌取り」とはどんなものかご存知でしょうか。「本歌取り」とは、元となる有名な歌から一部を引用したりアレンジを加えることによって新しく歌を作るという手法です。ここで、この歌の元となった歌を紹介しましょう。

「浅茅生の 小野の篠原 しのぶとも 人知るらめや 言ふ人なしに」

(耐え忍んでいるこの想いをあの人は知っているだろうか、いや、知らないだろう。伝えてくれる人もいないから)

本歌取り?ほぼ盗作では...?と思った方もいるかもしれません。確かに、著作権というものがしっかりと確立した中で生きている現代の私たちからすれば、これは新しい歌と言っていいのか疑問に思いますよね。しかし、平安の当時は一般的な手法として用いられていたものです。参議のこの歌が百人一首に収められていることがその証明とも言えます。

そして、歌の中に読み込まれた想いも元の歌と少し異なっています。

背の低い茅が同じくらいの高さの篠竹にまぎれて生えている様を人に見えぬように秘めた恋心に喩えて詠むところまでは、双方に共通する表現です。しかし、そのあと元の歌では「伝えてくれる人もいない」すなわち伝えることもできない恋心に苦しむ想いを詠んでいるのに対し、参議の歌では我慢しても耐えきれない程に溢れる恋心に振り回される自身の想いを情熱的に詠んでいます。

この意味の違いは、詠み手の性別の違いから来るものであると考えられます。というのも、元となった「しのぶとも」の歌は女性が詠んだ歌であると言われています。一方で参議は男性です。女性が忍んでいる恋は、きっと知られることに対する羞恥心や行動に起こす勇気のなさも含んだ切実な想いなのではないかと考えられます。参議の詠んだこの歌では、自らの想いに対する戸惑いも読み取れることから、許されない恋に身を落とした状態にあるのではないかと推測されます。これだけでも、置かれた状況や抱える想いに違いがあるであろうことは容易に想像できますよね。こんなにも違う状況にあるにも拘わらず、同じ情景から歌を作れてしまうのですから、当時の人々の感受性や表現力の豊かさには感心させられますね。

いかがでしたか。

本歌取りは初めて紹介した手法でしたが、こうして二つの歌を読み比べるのも面白いものですよね。当時の時代背景や恋愛の状況などを知れば知るほど深く意味を感じられて楽しくなっていくので、古文の知識も学んで取り入れつつ読んでいくことをおすすめします。

寒い日が続きますが、体調に気をつけて、受験が近い皆さまは全力で試験を受けてきてくださいね。

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:浅田 朋香>