2022/02/21

古典入門 百人一首カルタ【第17回】

2月も半ばを過ぎました。先日はバレンタインもありましたね。バレンタインの時期にはどこへ行ってもチョコレートがいっぱいで、見ているだけで甘い匂いが漂ってくるような気がします。

近年の日本ではただチョコレートを贈る、あるいは交換する日になりかけているバレンタインデーですが、本来は結婚を禁止した皇帝に逆らって恋人たちの結婚式を取り持ち、その結果処刑された司祭を祭る日であったと言われています。それが転じて、今では各国において恋人や家族が愛を伝え合う日となりました。血なまぐささはありつつも、どこかロマンチックな由来ですよね。

今回取り上げる歌は、前回に引き続き「忍ぶ恋」をテーマに詠まれた歌です。イギリスでは、バレンタインデーは想いを密かに伝える日として親しまれています。匿名で想い人にラブレターを送る文化があるそうですが、「忍ぶ恋」を歌に詠むのはそれと近いものがあるように思います。そうした、古今東西の恋愛の在り様に思いを馳せながら、味わってみましょう。

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「しのぶれど 色に出でにけり 我が恋は ものや思ふと 人の問ふまで」

(現代語訳)

人に知られないようにと心に秘めていたのに、顔色や表情に表れてしまったようだなぁ。私の恋は、「恋煩いでもしているのですか」と人に尋ねられてしまうほどになってしまった。

文法と語彙

文法

・「しのぶれど」の「ど」は、前回の記事でも解説した通り逆説の意味を持つ接続助詞です。已然形に接続して逆説確定条件の用法になるため、直前の動詞「しのぶ」が已然形に変化しています。

・「出でにけり」の「に」「けり」はそれぞれ完了と詠嘆の意味の助動詞です。「に」は完了の助動詞「ぬ」の変化した形であり「ぬ」は連用形接続の助動詞のため、直前の動詞「出づ」が連用形に変化しています。また、「けり」も連用形接続のため、直前の助動詞「ぬ」は連用形に変化しています。和歌の中で用いられる「けり」は、過去ではなく詠嘆の意味になる場合がほとんどなので注意してください。

・「我が恋は」の「は」は強意の意味の係助詞です。係り結びを起こさない係助詞なので、注意してください。

・「ものや思ふと」の「や」は疑問の意味の係助詞で、後ろの「思ふ」に係り結びを起こしています。「ものや思ふ」は「人」の言った「恋煩いでもしているのか」という台詞をそのまま歌中に引用している形なので、本来「思ふ」は終止形です。しかし、係り結びによって連体形に変化しています。

・「まで」は、体言や連体形に接続する副助詞で、「〜ほどに」と訳し程度の意味を表します。

・「色に出でにけり」と「我が恋はものや思ふと人の問ふまで」の部分は、倒置法が用いられています。程度を表す表現を倒置して後半に持ってくることで、どんなに相手のことを思っているのかという度合いが強調されています。

語彙

・「しのぶ」には、「我慢する、耐える」という意味と「隠す、秘密にする」という意味があり、今回は主に「秘密にする」の意味で用いられています。

・「色」は、古文において様々な意味を持つ単語であり、文脈に応じて訳し分ける必要があります。今回の場合には「顔色、表情、態度」といった意味で用いられています。他には現代語と同じ「色」の意味や「風情、趣」、「はなやかさ」、「やさしさ」、「恋愛」、「恋人」などの意味があります。

・「ものや思ふ」は「もの思ふ」という単語に係助詞が挟まった形です。「もの思ふ」は「物思いに耽る」という意味で、多くの場合恋愛に思い悩んでいる様子を指します。

歌の背景と鑑賞

では、鑑賞に入っていきましょう。

この歌の作者は、平兼盛です。三十六歌仙の一人で、村上天皇に仕えたとされています。また、百人一首に名が残っている赤染衛門の実の父であるとも言われています。彼に関しては、様々な逸話が残されていますが、その中でも最も有名なのが、今回紹介した「しのぶれど」の歌が詠まれたという「歌合」でのエピソードでしょう。

「歌合」とは、参加者が左右二組に分かれてその場で詠まれた歌を評価し、その優劣を競う遊びや行事のことです。「方人(かたうど)」と呼ばれる歌を詠む人が双方に呼ばれて与えられたテーマに沿って歌を詠み合うのですが、「しのぶれど」の歌はこの「歌合」の場で「恋」をテーマに詠まれた歌であると言い伝えられています。

平兼盛と壬生忠見で争われた「恋」の歌は二十番勝負の最後の歌であり、どちらも優劣つけがたいと盛り上がったと言われます。この時兼盛と競った歌こそが、百人一首の四十一番に収められている「恋すてふ」の歌なのです。勝負の行方と「恋すてふ」の歌については次回の記事でご紹介します。

兼盛の詠んだこの歌は「しのぶれど」から始まることからも分かる通り、秘めた恋の歌です。倒置法や強意の表現を用いて、強い想いと嘆きを表現したこの歌は恋心のままならなさをありありと描いているように感じます。

読者のみなさんの中にも、相手や周囲に知られてはならない恋をしてしまって苦しんだ経験や、それがうっかり周囲にバレてしまって狼狽えた経験をしたことがある人もいるでしょう。恋というものは、時代は違えど同じような苦しみや喜びをもたらすものです。時を経ても詠まれた想いが心を打つこの歌は、当時の歌合でも人々の心を揺さぶったのでしょう。

いかがでしたか。

今回の歌は、次回紹介する歌と合わせて味わうことで、歌合開催当時の参加者の気持ちになって楽しめる歌です。ぜひどちらの歌が好きか、心に響くかを考えながら読んでみてください。

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:浅田 朋香>