2022/03/22

古典入門 百人一首カルタ【第18回】

早くも春の息吹が感じられる季節になってきました。春は別れの季節であり、それと同時に出会いの季節でもあります。みなさんも、あと1ヶ月もしないうちに新しい学年、新しい学校へと進級、進学することになりますね。かくいう私自身も、この4月から新しい生活が始まります。この編集部でのお仕事も今回で最後。一年半もの長い間続けさせてもらったこの古典入門の連載も、今回で一応は最終回となります。

そんな連載の最後を飾る歌は、前回紹介した歌の対となる歌です。同じ歌合に参加していた二人の歌人が最後に競い合った二つの歌のうちの一つが今回の歌になります。ぜひ、前回ご紹介した歌と読み比べながら、味わってみてください。

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「恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」

(現代語訳)

恋をしているという私についての噂がもう立ってしまった。人に知られないようにひっそりと貴女のことを想いはじめたばかりだというのに。

文法と語彙

文法

・「恋すてふ」の「てふ」は、「といふ」が変化した形です。発音する時は「ちょう」と読みます。「と」は格助詞、「いふ」は動詞「言ふ」の連体形です。

・「我が名は」の「が」は、連体修飾の意味の格助詞です。体言である後ろの「名」に接続していることから識別します。

・「まだき」は、「早くも、もう」などの意味を持つ副詞です。

・「立ちにけり」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形、「けり」は詠嘆の助動詞「けり」の終止形です。

・「知れず」の「ず」は、打消の助動詞「ず」の連用形です。

・「こそ」は係り結びを起こす係助詞です。強意の意味を持つ係助詞ですが、ここでは逆接の意味も導いています。

・「思いそめしか」の「しか」は過去の助動詞「き」の已然形です。「こそ」が係り結びを起こしているため、文末の「き」が已然形に変化しています。

・この歌には、倒置法が用いられています。45句めと123句めが倒置されており、これによって45句めの内容が強調されています。

語彙

・「我が名」の「名」は、「噂、評判」という意味です。「名」には他にも「名前」「名目」などの意味がありますが、今回は「噂」の意味で用いられています。

・「まだき」は上でも解説した通り、「早くも、もう」という意味です。

・「思いそめ」は「思ふ」と「そむ」に分けられ、「思ふ」は「恋をする」の意味で用いられている。「そむ」は漢字で「染む」と書く場合と「初む」と書く場合がありますが、今回は「初む」の方の意味で用いられています。「〜し始める」という意味です。

歌の背景と鑑賞

では、鑑賞に入っていきましょう。

この歌の作者は、壬生忠見(みぶのただみ)です。経歴に謎の多い人物ですが、歌人としては相応に有名で、「忠見集」という歌集が残っています。平兼盛と同時代、すなわち村上天皇らの時代に活躍していた歌人です。

先述の通り、この歌は前回紹介した歌と対になっています。歌合において「恋」をテーマに詠まれたもので、歌合の詳細については前回の記事を参照ください。(可能であれば前回記事のリンク貼り付けお願いします)

忠見の詠んだこの「恋すてふ」の歌は、兼盛の歌と同じ秘めた恋について詠まれています。兼盛が「ものや思ふと人の問ふまで」と詠み、何か恋でもしているのかと問われるほどに想っているという表現をしているのに対し、忠見は「我が名はまだき立ちにけり」と詠み、恋をしているらしいという噂が立つほどに想っているという表現をしています。同じテーマ、同じような題材であってもこうした表現の違いが生まれるところが和歌の面白さであると言えます。

二つの歌はどちらも倒置法を用いて想いの強さを表していますが、強調されている部分が異なります。兼盛は人に尋ねられるほどにという部分を強調し、忠見は最近想い始めたばかりであるにもかかわらずという部分を強調しています。自分の想いを表現するのにどのような伝え方をするのか、というのはそれぞれの価値観の違いが表れるポイントです。みなさんはどちらの表現が好みでしょうか。

ところで、歌合の行方についてですが、非常に拮抗した作品で審判もとても困ったらしいと言い伝えられています。しかし、最終的に選ばれたのは兼盛の「しのぶれど」の歌でした。この結果を受けて、忠見は悔しさから食事も喉を通らず、体調に支障をきたして亡くなったとも言われています。真偽の程はわかりませんが、この当時、歌のうまさが直接出世に繋がっていたことをふまえれば、事実そうだったのかもしれません。

いかがでしたか。

前回紹介した「しのぶれど」の歌と、今回紹介した「恋すてふ」の歌、どちらもロマンチックで情熱的な恋の歌です。二つを比べて背景をふまえて解釈することで、和歌や古文というものをさらに楽しむことができると思います。みなさんも読み比べながら、自分の中での審判を考えてみてください。

そして、初めに述べさせていただいた通り、今回はこの連載の最終回となります。長らくご愛読いただいたみなさま、ありがとうございました。この連載記事が、みなさまの古文の学習に役立っていれば幸いです。

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:浅田 朋香>