2022/07/19

考えよう①「トロッコ問題~正しさとは何か~」

坂の上から、制御の効かなくなった一台のトロッコが猛スピードで下ってきます。レールの先には、トロッコの暴走に気付いていない五人の作業員がいます。あなたは、偶然にもその光景を目撃している唯一の人物です。そしてまた偶然にも、レールを切り替えるスイッチの側にあなたは立っていて、トロッコの進行方向を変更することができるのです。しかし、切り替えた先にも作業員がいるのです――たった一人ですが。

作業員たちにこの緊急事態を伝えることはできません。必ず、五人または一人が暴走トロッコの下敷きになって、帰らぬ人になってしまうでしょう。

あなたはどうしますか?

 

さぁ、考えてみましょう・・・・・・・・。たとえそれが、答えのない問いであろうと。

はじめに

思考実験を通じて、哲学への興味や深い思考へと誘う『考えよう』の時間がやってまいりました。これからしばらくの間、一緒に考えていきましょう。

先に述べたものは、トロッコ問題と呼ばれる有名な思考実験です。イギリスの哲学者フィリッパ・フットが1967年に考案しました。テレビやインターネット等で話題になっていましたので、知っている方も多いでしょう。

この思考実験について考える前に、これは第一回目の連載ですので、まずは「哲学」「倫理学」「思考実験」について、それぞれ簡単に説明しておきましょう。

哲学って何?

「哲学」とは、簡単に言うと、「『なぜ』『何』を考える学問」です。考える対象は多岐に渡ります。美とは何か、神とは何か、生きるとは何か、なぜ生きるのか......。根本的な問いに挑戦する学問です。最近では、「人間とアンドロイド、AIの違いは何か」のような新しい問いも発生したため、それにも取り組んでいます。

また、哲学は全ての学問の祖でもあります。数学も自然科学も人文科学も、「なぜ」「何」という哲学的問いかけがなければ生まれません。

倫理学って何?

「倫理学」とは、「『良い・悪い』『すべき・すべきでない』を考える学問」です。

「倫理(あるいは道徳)」とは、「○○することは良い(悪い)」という価値や、「○○するべきだ(すべきでない)」という規範が含まれています。ここで「それはなぜか?」と考えるのが倫理学です。

思考実験って何?

「思考実験」とは、理科の授業で行うような、実際に器具や計算を使った実験ではなく、頭の中の想像だけで行う実験です。哲学だけではなく、数学や物理学の分野でも思考実験が採用され、また議論されることもあります。

トロッコ問題を考えよう

この思考実験のポイントは、「五人を救うために一人を犠牲にするのか(するべきなのか、することは良いことなのか)」という点です。

功利主義的なアプローチ

もし、直感的に、「被害の出る人数が少ないほうがよい」と思ったならば、それは功利主義的な考え方と言えるでしょう。

功利主義とは、「『最大多数の最大幸福』を優先する倫理」と表現することができる考え方で、イギリスの哲学者であるベンサムやJ.S.ミルによって構築されました。

「最大多数の最大幸福」とは、簡単に表現すると、「より多くの人が、より多くの幸せになるように」するべきという考え方です。つまり、一人だけが救われるよりも、五人が救われるほうがより良いということになります。

これはたしかに簡単に理解することができます。救われる人数が多いほうが、選択としてより「正しい」感じがしますね。

......本当にそうでしょうか?

義務論的なアプローチ

「五人を救うためとはいえ、レールをわざわざ切り替えて一人を犠牲にすべきでない」と考えたならば、それは義務論的な考え方と言えるでしょう。

プロイセン(ドイツ)の哲学者であるカントは、「人を手段としてのみ用いるのではなく、目的として尊重すべき」という考えを展開しました。

この理論に照らして考えてみましょう。本来は死ぬはずのない一人を、五人を救うための手段として扱うことは、果たして「正しい」選択と言えるでしょうか?

こうしてみるとたしかに、ノータイムで賛成することは難しそうです。人の命はみんな平等だと教わってきたはずです。無関係な命を巻き込むことは正しくないように思えます。

......本当にそうでしょうか?

あなたはどう考えますか? そしてそれはなぜですか?

――さぁ、考えてみましょう・・・・・・・・)。

「もっと」トロッコ問題を考えよう

あなたの考え方が功利主義的であれ義務論的であれ、あるいは全く違う考えであれ、トロッコ問題にいくつかの条件や設定を加えてやることで、あなたの考えの根幹を揺さぶることができます。

暴走するトロッコの先に五人の作業員がいます。あなたは橋の上からそれを見ている状況です。そして橋には、ガタイの良い男がいて、その様子を見つめています。あなたは(残酷にも)「この男を落とすことでトロッコを止められる」と思い立ちます。そして本当にそれが可能であるとします。あなたはどうしますか?

レールを故意に切り替えて一人の作業員を犠牲にすることと、あなたの両手が男を突き落とすということは、「五人の代わりに一人を犠牲にする」という点においても、それがあなたの行為によるものだという点においても、先ほどの状況と変わらないはずです。

ですが、これで突き落とす選択を取ることは難しく思えるのはなぜでしょう。レールのスイッチを切り替えることと、自らの手で突き落とすことは、感情的に大きな差異があるのです。だからといって、「最大多数の最大幸福」はそれだけの理由で見逃しても良いのでしょうか?

続いて、冒頭の状況において、レールの上にいる作業員の設定を変えてみましょう。

五人の年老いた作業員と、一人の若い作業員がいる場合。

あるいは、五人の男性作業員と、一人の女性作業員がいた場合。

年齢や性別によって、犠牲にするかどうかの判断をするべきですか? そうだとしたらそれは差別的思考とも言えませんか? 違うとしたら、それはなぜですか?

また、「若い作業員」ではなく子どもだったら? 「女性作業員」が妊娠していたとしたら?

......五人を犠牲にしようと思いましたか? 「最大多数の最大幸福」が無視される理由は何ですか? あるいは、人の命は全て平等に目的として扱われるべき、という義務論をないがしろにしていることにもなりませんか?

五人の赤の他人の作業員と、一人の友人がいる場合。

年齢や性別という、生物的に決定される要因ではなく、社会的に決定される人間関係が指定されていたらどうでしょう? あなたの個人的な思い入れで五人をトロッコの犠牲にすることは本当に正しい選択でしょうか?

「友人」では弱いでしょうか。では、あなたの一番大事な人の顔を思い浮かべてみてください......考えは変わりますか? それはなぜですか?

百人の作業員と、五人の作業員の場合。

極端に人数の差異を設けることで、あなたの思考を簡単に絡みつかせることができます。「五人と一人」の時と考えは変わりますか? その理由も答えられますか?

あなたはどう考えますか? そしてそれはなぜですか?

――さぁ、考えてみましょう・・・・・・・・)。

トロッコ問題と現代科学の関係

最後に、この思考実験が現代の問題とどう関係しているのかを紹介して終わりにしましょう。

一部の哲学者は、トロッコ問題で想定されている状況があまりにも現実離れしていると批判しているのですが、実は、必ずしもそうとは言い切れないない時代へと変貌しようとしているのです。

キーワードは、AI技術の発展と自動運転です。

避けられない事故を目の前にして、五人か一人かという思考実験通りでないとしても、大きい事故を避けるため小さな事故を起こすように設計されるべきでしょうか。その場合の大きい小さいは誰がどう判断すればよいでしょうか。

AI研究では、今、「倫理をプログラミングする」という非常に難しい作業に直面しています。科学の発展と倫理は、切り離せない関係にあるのです。

終わりに

思考実験を通じて、哲学への興味や深い思考へと誘う『考えよう』第一回目はいかがでしたでしょうか。

今回はこれで終わりとなります。この問題の答えは(少なくとも今のところは)ありません。

大切なのはあなた自身が考えることです。問題が分からないからといって、いつでも答えを書き写すなんてできません。人生に模範解答はないのです。あなたが思うあなたの答えを探すための手掛かりとして、この連載がこれから役に立ってくれるのを願っています。

次回は、色のない部屋でお会いしましょう。ではまた。

 

▼「トロッコ問題」に関する記事こちらから

▶▶トロッコ問題・臓器くじ~正しさはどこにある?~【考えよう⑦】

 

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:仲保 樹>