2022/08/22

考えよう②「メアリーの部屋~『知っている』とは何か~」

彼女の名はメアリー。

 

彼女は科学に精通していて、色覚研究の権威です。彼女は、ものが見えるということが光の反射であるということを当然知っているし、その光がどのように我々の神経や脳を刺激するかを知っています。彼女は、色について知らないことなど何もないのです――ただの一度も色を見たことがない・・・・・・・・・・・・・・・、ということを除いては。

 

彼女の名はメアリー。彼女の部屋は、モノクロの壁紙とモノクロの家具で構成されていて、パソコンのモニターもスマートフォンの画面も、白黒の映像しか映さないのです。鏡すらなく、部屋は薄暗く、自らの肌の色や瞳の色、髪の色すらはっきりと認識することができません。彼女は、生まれてから今まで、この部屋を出たことがありません。

 

ある日、パソコンのモニターが何らかの誤作動を起こしました。彼女の眼に飛び込んできたのは、真っ赤なリンゴの写真でした。彼女は「赤」を知っていましたが、「赤」を見たのは初めてでした。

 

彼女は、何か新しいことを学んだのでしょうか?

 

 

 

さぁ、考えてみましょう。たとえそれが、答えのない問いであろうと。

 

 

 

はじめに

思考実験を通じて、哲学への興味や深い思考へと誘う『考えよう』の時間がやってまいりました。前回の「トロッコ問題」に引き続き、今回は「メアリーの部屋」として知られている思考実験を一緒に考えていきましょう。

「思考実験って何?」と思った方は、「考えよう①」の記事をご覧ください。

 

 

 

メアリーの部屋を考える前に

この思考実験は、オーストリアの哲学者フランク・ジャクソンによって考案されました。1980年代に論文が発表されて以降、哲学界や科学界で大いに論争を引き起こしました。ポイントとなるのは、「クオリアは存在するのか」ということです。

 

「クオリア」をキーワードにして考えていきますが、難しい言葉ですので、こう考えてみましょう。

 

メアリーは色について何でも知っていた・・・・・・・・のでしょうか?

 

 

 

「知っている」ということ

何かを「知っている」とはどういうことでしょうか?

 

方程式の解き方を知っている、『奥の細道』の作者を知っている、interestingという単語の和訳を知っている......。様々な「知っている」がありますが、今回メアリーが直面している状況はそれらと少し異なります。「赤を見る」とは「経験」であるからです。

 

メアリーは、冒頭で述べられていたように、色や色の見え方について、学問的・科学的な知識を全て持っています。しかし、「赤を見る」という経験をしたことがありません。だから、「赤が見える」とは実際どのような感じがするのか、知らないかもしれません。

 

これが、哲学の世界でクオリア(qualia)と呼ばれるものなのです。

 

クオリアとは、簡単に言うと、言葉で説明できないようなもの経験でしか知りえないものです。たとえば、「恋」という言葉の意味は辞書を引けば出てきます。しかし、実際にどのような感じがするのか、あるいは、実際にあなたが経験した胸の痛みは、どの辞書やラブソングにも書いていないはずです。

あなたしか 経験できないこと、それがクオリアなのです。

 

 

 

メアリーの部屋を考えよう

「メアリーは色について何でも知っていた・・・・・・・・のでしょうか?」という問いに戻りましょう。

そして、クオリアという考えを踏まえて、問いをこのように変換しましょう。

 

経験したことがないものを『知っている』としていいのか?

メアリーは赤を見たことがありません。それでも彼女は、科学によって、色覚についての全てを知っています。「赤」とはある特定の光の波長であり、「赤が見える」とは網膜に到達した光が電気信号となって視神経を通って脳へ届くことです。メアリーは当然それを知っています。

 

ですが、「赤が見えること」とは実際どのような感じがするのでしょう。それが「赤が見えること」のクオリアです。メアリーはそれすら科学的知見によって網羅していたと思いますか?

 

網羅できていたなら、経験したことがなくても「知っている」と言ってよいでしょう。でも本当にそうでしょうか。経験しないと分からないこと、経験でしか得られないことがないのなら、全てが(科学的な)言葉によって説明できることになりますが、可能でしょうか?

 

しかしメアリーが赤を見たことで何か新しいことを学んだとしたら、それは、クオリアについて記述できなかったぶん、メアリーの科学が不完全であったことを意味します。科学が不完全であるなら、科学で成り立っているこの現代は間違っているのでしょうか?

 

あなたはどう考えますか?

そして、それはなぜですか?

 

 

――さぁ、考えてみましょう・・・・・・・・

 

 

 

 

終わりに

思考実験を通じて、哲学への興味や深い思考へと誘う『考えよう』第二回目はいかがでしたでしょうか。

 

今回はこれで終わりとなります。この問題の答えは(少なくとも今のところは)ありません。

大切なのはあなた自身が考えることです。解答が分からないからといって、いつでも答えを書き写すなんてできません。人生に模範解答はないのです。あなたが思うあなたの答えを探すための手掛かりとして、この連載が今後役に立ってくれるのを願っています。

 

次回は――おや、船の修理が終わったようです。見に行ってみましょう。ではまた。

 

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:仲保 樹>