2022/09/12

日本史史料を覗いてみよう!ー異なる史料から富士川の戦いを読むー

皆さんこんにちは。日本史大好き!な講師のもえかです。

突然ですが皆さんは、「源平の戦い」ときいたら、なんの本をイメージするでしょうか。『平家物語』をイメージする方が多いのではないかなと思います。ですが、源平の戦いについて触れられている史料はそれだけではありません。では今回は、源平の戦いでの有名エピソード、「富士川の戦い」について、いろいろな史料をみてみましょう。

【富士川の戦いとは】

富士川の戦いとは、治承四年(1180年)十月、源頼朝の軍と平維盛・忠度・知度らの軍が、富士川をはさんで行なった合戦です。実はこの富士川の戦い、源氏の不戦勝という結果でした。それにはこんなちょっと間抜けなエピソードがあります。平家は水鳥が羽ばたく音を源氏が攻めてきたと勘違いして大慌てで逃げたというのです。でもこのお間抜けエピソードが書いてあるのは、今日紹介する史料の中では『平家物語』『吾妻鏡』『山槐記』の3つだけなんです!それはなぜでしょうか。私と一緒に考えてみましょう。

 

【水鳥の羽音のことが書いてある史料】

※カタカナ等は必要に応じて常用漢字、平仮名に直しています。

① 平家物語

《平家物語とは》

平家物語とは、平清盛を中心とする平家一門が栄え、そして滅亡するまでを描いた物語です。国語の授業で冒頭部分の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり...」を暗唱したという方も多いのでないでしょうか。

 

《本文》(タップして表示)

その夜の夜半ばかり、富士の沼に、いくらもむれいたりける水鳥どもが、なににかおどろきたりけん、ただ一度にばっと立ちける羽音の、大風いかづちなどの様にきこえければ、平家の兵ども、「すはや源氏の大勢の寄するは。斎藤別当が申しつる様に、定めて搦手もまはるらん。とりこめられてはかなふまじ。ここをばひいて、尾張河洲俣をふせげや」とて、とる物もとりあへず、我さきにとぞ落ちゆきける。

   

《簡単な現代語訳》

その夜の夜中、富士川の沼にいた水鳥たちが何かに驚いて一度に飛び立った音が大風や雷の様に聞こえた。すると平家の兵士たちは「ああ!源氏の大群が来た。斎藤別当が申したようにきっと背後にも回っているだろう。囲まれたら敵わない。ここは引いて、尾張川と洲俣を防げよ。」ととりあえず我先にと逃げた。

 

② 吾妻鏡

《吾妻鏡とは》

吾妻鏡(あずまかがみ)は、鎌倉幕府の前半部分を扱った歴史書です。歴史書は、過去に何があったかを未来の私たちに伝えるために書かれた書物です。吾妻鏡は、治承四年の以仁王(もちひとおう)の挙兵から始まり、文永三年の宗尊親王が上洛するまでのことが書いてあります。また、吾妻鏡は編年体で書かれています。つまり皆さんが知っている日記の様に、「○年×月△日、天気は〇〇、××があった」という形の史料です。

 

《本文》(タップして表示)

所集于富士沼之水鳥等郡立、其羽音偏成軍勢之粧、依之平氏等驚騒、

   

《簡単な現代語訳》

富士川の沼の水鳥たちが群がり飛び立った。その羽の音は軍勢のようだった。これに平氏は驚き慌てた。

 

③ 山槐記

《山槐記とは》

山槐記(さんかいき)は、平安時代の終わりから鎌倉時代の初めの公卿・中山忠親(なかやまただちか)が書いた日記です。時期が平家政権の全盛期から源平の戦いにあたり、重要な史料とされています。

 

《本文》(タップして表示)

宿傍池鳥数万俄飛去、其羽音成雷、官兵皆疑軍兵之寄来夜中引退、上下競走、自焼宿之屋形中持雑具等、

 

《簡単な現代語訳》

すると突然、数万の水鳥が飛び立った。その羽の音は雷のようだった。官兵(平家の軍)は皆、軍勢(源氏の軍)が攻めてきたと疑い、身分が上の人も下の人も走り、みずから屋敷に火をつけ道具を持って撤退した。

 

【水鳥の羽音のことが書いていない史料】

※史料本文の旧字、カタカナ等は必要に応じて常用漢字、平仮名に直しています。

①吉記

《吉記とは》

吉記(きっき)は、貴族の吉田経房(よしだつねふさ)が書いた日記です。平安時代の終わりから、鎌倉時代の始まりまでのことが書いてあります。とても細かく書いてあるようで、朝廷の行事や儀式から源平の戦いの様子がよくわかる史料です。

 

《本文》(タップして表示)

其後頼朝襲来之由風聞、彼等勢巨万、追討使勢不可敵対、仍欲引返之間、於手越館失火出来、上下失魂之間、或棄甲冑、或不知乗馬逃帰了、

 

《簡単な現代語訳》

その後、頼朝が攻めてくるという噂があった。その軍勢は非常に多く、(維盛の)追討使の軍勢では太刀打ちできない。そのため引き返そうとした所、手越館で出火した。平家の軍勢は身分が上の者も下の者も驚き、ある者は甲冑を棄て、またある者は馬に乗らず逃げ帰ってしまった。

 

②玉葉

《玉葉とは》

玉葉(ぎょくよう)は、関白・九条兼実の日記です。全66巻に渡る超大作で、兼実が16歳から55歳まで書いていたそうです。その内容は、政治の事やうわさ話など多岐にわたります。

 

《本文》(タップして表示)

計官軍勢之処、彼是相並四千騎、〈中略〉官兵之方数百騎、忽以降落、向敵軍城了、無力于拘留、所残勢、僅不及一二千騎、武田方四万余云々、維盛者、敢無可引退、

  

《簡単な現代語訳》

(平家の軍勢は)僅か一、二千騎にも及ばないほどであった。一方、武田(源頼朝側の軍、つまり平家からしたら敵)の軍勢は四万ほどらしい。維盛(平家)は、逃げるしかなかった。

 

【まとめ】

以上から、平家の軍勢が逃げた理由が史料によって様々ということが分かったのでは無いでしょうか。簡単にまとめると次のようになります。

平家物語→水鳥の羽ばたく音を源氏が攻めてきたと勘違いして逃げた

吾妻鏡→水鳥が羽ばたく音を源氏が攻めてきたと勘違いして逃げた

山槐記→数万の水鳥が突然羽ばたき源氏が攻めてきたと勘違いし、逃げた

吉記→源頼朝が大軍で攻めてくると聞きつけ撤退の準備をしていた時、火事が起こりそれに驚いて逃げた

玉葉→源氏との戦力の差を感じ、逃げた

どうして史料によって記述が違うのでしょうか。そのヒントは各史料の特徴に隠れています。まず『吾妻鏡』ですが、リアルタイムで書かれた史料ではありません。当時出された手紙や日記などを参考に後の時代に書かれました。また、『吾妻鏡』は源氏側から書かれた史料でもあります。なので、源氏がかっこよく見えるように書くのは当然ですよね。また、『平家物語』も後の時代にできた物語です。なので、面白くなるように脚色されているかもしれません。ここからは私の予想になりますが、『山槐記』という日記にも「水鳥の音に驚いて逃げた」といった趣旨の記述があることから、もしかしたら当時、このような噂くらいはあったのかもしれませんね。

とはいえ、記述がさまざまであるため富士川の戦いで実際何が起こったかは分かりません。だからこそ、「何があったのかな〜」と考えながら史料を読むのは楽しいですね。

皆さんもぜひ、史料を読んでプチタイムトラベルを楽しんでみてくださいね。

【参考】

市古貞次訳『新編日本文学全集45 平家物語①』小学館、1994

増補「史料大成」刊行会編『増補 史料大成 第二十八巻 山槐記三』臨川書店、昭和40

高橋秀樹編『新訂 吉記 本文編二』和泉書院、2004

國書刊行會編『玉葉 第二』名著刊行会、昭和46

図書刊行会編『吾妻鏡 吉川本 第13 吉川本 上巻』図書刊行会、1915

(国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920980)

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:本田萌香>