2022/11/28

考えよう⑤「経験機械~幸せとは何か?~」

あなたは、この《経験機械》に繋がれることで、幸せになれるかもしれない。

やり方は簡単だ。電極を脳に接続し、タンクの中に漂っているだけ。

たったのそれだけで、あなたは、ベストセラー作家になることも、大切な友人をたくさん作ることも、あなたが大好きな創作物に触れることもできるのだ......その《経験》としてだけ。

この《経験機械》は、そんな《経験》しか与えない。あなたは「偉大な物語を書いた」と考えたり感じたりすることができる。が、機械の外の現実では何も起こっていない。が、その《経験》は夢のようにあいまいなものではない。あなたはたしかに何か感じるところがあるだろう。

あなたは、この《経験機械》に一生繋がれていたいと思うだろうか?

さぁ、考えてみましょう・・・・・・・・。たとえそれが、答えのない問いであろうと。

はじめに

思考実験を通じて、哲学への興味や深い思考へと誘う『考えよう』の時間がやってまいりました。第五回は、《経験機械》という思考実験を通じて、《幸福》(注1:おまけのようなものです、記事の最後にありますのでもっと知りたい方などは是非)について考えていきましょう。

経験機械を考えよう

アメリカの哲学者ロバート・ノージックは、1974年、著作『アナーキー・国家・ユートピア』内でこの思考実験を提唱しました(注2)。

今回は、《経験機械》を例に、イギリスの哲学者デレク・パーフィットによる幸福の分類法から、幸福とは何かを考えていきます。

幸福の三つの分類

デレク・パーフィットは、1984年の『理由と人格』にて、幸福を三つの分類に区分けしました。順に追っていきながら、《経験機械》について考えていきましょう。

快楽説

機械によって経験が与えられているとき、何か幸せな気分を感じていることでしょう。その気分を味わっていること、その気分が幸福の正体だとするのが快楽説です。幸福とは何らかの快い精神状態であるという考え方に基づきます。

一見納得できそうです。この考え方に従えば、《経験機械》で得られるものは間違いなく《幸福》であるようです。その使用を拒むことはないでしょう。

ですが、こうも考えられます。われわれは機械に騙されて《幸福》を感じているだけなのだと。

《偽りの幸福》は、現実にもあり得ます。周りから愛されていると思いこんでいる人が、実はそうでなかったと知ってしまったとき、幸福度は著しく低下してしまうでしょう。勘違いしていた期間も、快楽説によれば、その人は幸福であったということになります。

欲求実現説

本人の望んでいる事態が実現すること自体が幸福である、という考えを、欲求実現説と呼びます(注3)。この説によれば、《偽りの幸福》問題はクリアされます。すなわち、本人は「愛されたい」と思っていたわけなので、その欲求が実現していない以上、幸福とは呼べないと結論付けられるのです。また、《経験機械》も、本人が望んで機械に繋がれるのであれば、その人は幸福だと言えるでしょう。

一見問題のない説に思えますが、反論もあります。《棚からぼたもち》のような《思いがけない幸福》を《幸福》と呼べないのです。欲求していたわけではないのですから。

客観的リスト説

この客観的リスト説は、本人の信念や欲求と無関係に、《幸福》の構成要素があると主張しています。それはつまり、健康であるとか、良好な人間関係だとか、理性といった、客観的に価値があるものです。この説を使えば、「機械に繋がれているよりも繋がれていない人生のほうが良い」といえるなら、《経験機械》に繋がれる選択はしないでしょう。

批判は当然あります。その《リスト》は、一体誰が決めているのでしょう。そして、そのリストにチェックを付けられる人はどのくらいいるのでしょう。「金銭的に不自由しないこと」がリストに入っているとしたら、貧しい人は問答無用で不幸となってしまいます(注4)。

以上、三つの説を見ていきました。あなたは《経験機械》は《幸福》をもたらすと思いますか? また、機械に繋がれたいと思いますか?

あなたはどう考えますか?

そして、それはなぜですか?

――さぁ、考えてみましょう・・・・・・・・

 

まとめ:幸せについて考える

今回は《幸福》について考えていきましたが、幸せについて考えることイコール幸せになること、ではありません。ですが、その手助けにはなります。自分や他の誰か幸福・不幸を考えるとき、三つの説に照らしてみてください。あなたの思想は、誰かの幸福を妨げ、不幸にさせる何かの盾になるかもしれません。哲学や倫理学は、あなたの生き方や行動指針、思想の羅針盤です。何も知らないままよりも、知っているほうがあなたは船を漕ぎやすいはずです。ですが答えを出すのを急がないでください。一生をかけて哲学していきましょう。思想史に残る哲学者が、あなたの哲学の手助けをしてくれるかもしれません。

終わりに

思考実験を通じて、哲学への興味や深い思考へと誘う『考えよう』第五回はいかがでしたでしょうか。

この問題の答えは(少なくとも今のところは)ありません。

大切なのはあなた自身が考えることです。解答が分からないからといって、いつでも答えを書き写すなんてできません。人生に模範解答はないのです。あなたが思うあなたの答えを探すための手掛かりとして、この連載が今後役に立ってくれるのを願っています。

ではまた次回お会いしましょう。ちなみにこの記事を書いたのは筆者ではありません、筆者の脳です。誤字・脱字があったとしても、それは筆者の脳がやったことです。筆者は悪くありません。

参考文献

森村進『幸福とは何か 思考実験で学ぶ倫理学入門』2018年・筑摩書房

→《経験機械》の思考実験のほか、多くの例を挙げて幸福について論じています。記事ではカットした各説への批判や、折衷案的なハイブリッド説についても書かれています。

(注1)現在の哲学や倫理学、心理学では、いわゆる《幸福》のことを《効用》など異なる名前で呼ぶこともあります。今回はすべて《幸福》と表記します。

(注2)本のタイトルでなんとなく予想がつくかと思いますが、ノージックはリバタリアリズムという立場で、政治哲学などを語っています。本来、幸福とは何かという文脈で《経験機械》を語ることは少し視野が狭いとも言えます。

(注3)「私はとても罪深い存在だから、私は不幸でなければならない」と欲求している人が、実際に不幸であった場合、欲求が実現されているので《幸福》ということに......なるのでしょうか。筆者は答えが出せていません。

(注4)アリストテレス『ニコマコス倫理学』第一巻第八章では、「容姿がはなはだ醜い、あるいは生まれが劣っている、あるいは孤独で子どものいない人はあまり幸福ではありえない」という、現代人がひやひやするような主張がされています。

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:仲保 樹>