2023/02/20

考えよう⑦「トロッコ問題・臓器くじ~正しさはどこにある?~」

彼は、ブレーキの効かなくなった暴走路面電車の運転手である。

前方を見ると、線路は二手に分かれており、一方の線路には五人の作業員、もう一方の線路には一人の作業員が働いている。

彼は、一つの命も犠牲にせずに職務を終えることはできない。必ず、線路上の誰かは、暴走列車によって命を奪われてしまう。

彼ができることは、方向転換のレバーを握って操作することだけだ。

五人いる線路から、一人いる線路に、方向を替えるべきだろうか?

 

あなたはどう考えますか?

そして、それはなぜですか?

――さぁ、考えてみましょう。

はじめに

思考実験を通じて、哲学への興味や深い思考へと誘う『考えよう』の時間がやってまいりました。

第七回は、第一回でも取り上げた「トロッコ問題」についてもっと深く考えていくとともに、類似する思考実験として有名な「臓器くじ」について、深く考えていこうと思います。

第一回をお読みになっていない方は、まずそちらを読んでいただいたほうが分かりやすいかもしれませんが、読んでいなくても楽しめる内容になっております。

目次

トロッコ問題について

二重結果論:「死なせる」と「死なせない」

思考実験:臓器くじ

二重結果論で「臓器くじ」を考えよう

二重義務論で考えよう:ポジティブな義務とネガティブな義務

思考実験:洞窟探検

正しさはどこにある?:二重結果論と二重義務論

次回予告

トロッコ問題について

先述した第一回のトロッコ問題について、考案したのはフィリッパ・フットであると書きましたが、それは誤解を生む表現でした。冒頭に書いた《運転手が方向転換する》パターンが、フットの考案した「トロッコ問題(トローリー問題)」です。

有名な《線路脇の人が方向転換する》パターンのものは、フット以後に考案されたもので、考案したのは、アメリカの女性哲学者ジュディス・ジャーヴィスト・トムソンです。「トロッコ問題Trolley Problem」という名前や、有名な《橋の上の太った男を落とす》パターンを考案したのも彼女です。

では、そんなトロッコ問題について考えていきましょう。

二重結果論:「死なせる」と「死なせない」

「トロッコ問題」において、方向転換をするとしたら、それはなぜそうするのでしょうか。当然、《五人を死なせないため》です。《一人を殺すため》ではありません。一人の作業員の死が予見されていたとしても、それは意図したものではないということです。

このように、《意図された結果》をもたらした行為には責任を負わせるが、《意図されていないが予見された結果》には責任を負わせないとする理論を「二重結果論」といいます。

では、この理論に基づいて、同様の思考実験「臓器くじ」について考えていきましょう。これもフットが論文の中で考案しているものです。

思考実験:臓器くじ

それぞれ異なる臓器が重大な病に侵されている五人がいる。彼らは臓器移植が必要である。

この五人のために、健康な一人の人物から臓器を取り出し移植させれば、その一人は死ぬが、五人は助かる。

あなたならどうしますか?

そして、それはなぜですか?

――さぁ、考えてみましょう。

二重結果論で「臓器くじ」を考えよう

先述の通り、「トロッコ問題」は、意図したのは《五人を救うこと》です。そのため、一人が犠牲を払うことは許容できるかもしれません。

対して、「臓器くじ」の例は、たとえ五人を救うためであっても、その命を救うためには、健康な一人の命を《意図的に》奪う必要があります。二者択一の緊急避難的レール切り替えとはこの点で事情が違います。そのため、「二重結果論」に従うと、これらの場合、一人の命を奪うことは許容されません。

たしかに、そう言えるかもしれません。しかしこう考えた人もいるでしょう。「『トロッコ問題』も、五人を救うことを目的にしているとはいえ、《意図的に》一人の作業員を殺しているのではないか?」と。

そういうわけで、他の考え方も導入し、参考にしてみましょう。

二重義務論で考えよう:ポジティブな義務とネガティブな義務

フットは、法学者ジョン・ウィリアム・サーモンドを引用し、「ポジティブな義務」「ネガティブな義務」という「二重義務論」の考え方を、「二重結果論」の代案として採用しています。

すなわち、われわれには援助する義務(しなければならない義務)という「ポジティブな義務」と、介入しない義務(してはいけない義務)という「ネガティブな義務」があるとする考えです。

この論をもとに、「トロッコ問題」を考えてみましょう。《五人を殺してはいけない》と《一人を殺してはいけない》という「ネガティブな義務」同士の対立となるといいます。その場合は、第一回でも紹介した「功利主義」(最大多数の最大幸福)の原則を採用でき、一人の作業員がいるレールに切り替えるほうが許容されます。

では「臓器くじ」はどうなるでしょう。この場合は、《五人を救わなければならない》という「ポジティブな義務」と、《一人を殺してはいけない》という「ネガティブな義務」の対立となります。この場合、「二重義務論」の考え方では、「ネガティブな義務」が優先されます。つまり、《一人を殺してはいけない》義務が優先されるのです。

異なる説明をしてみましたが、どうでしょう。納得できる考えでしたでしょうか。「なぜ『ネガティブな義務』が優先されるんだ?」と思った人もいるでしょう。どちらの理論が正しい・間違いというわけではないですが、ここでさらに、二つの理論で選択が変わる思考実験を紹介します。

思考実験:洞窟探検

五人の探検隊が洞窟を進んでいると、緊急事態が起こった。五人の背後から水流が迫ってきており、このままでは全員溺れ死んでしまうのである。しかもあろうことか、太った男が挟まってしまい進めないのである。

突破する方法は一つ。前方にダイナマイトを設置し、岩を爆破することである。しかしそうしてしまえば、ダイナマイトを設置した、最前方にいる一人が確実に死亡してしまう。さて、このダイナマイトのスイッチを入れるべきだろうか。

あなたならどうしますか?

そして、それはなぜですか?

――さぁ、考えてみましょう。

正しさはどこにある?:二重結果論と二重義務論

「二重結果論」で考えると、意図しているのは《五人を救うこと》であるから、ダイナマイトを使用することは許容されます。

しかし、「二重義務論」で考えると、《五人を救わねばならない》という「ポジティブな義務」と、《一人を殺してはいけない》という「ネガティブな義務」の対立になるので、「ネガティブな義務」が優先され、五人は洞窟内で命を落とす選択をすることになるのです。

このように、採用する理論によって選択される結果が異なる場合があります。ゆえに、《何かの論に沿っているからその選択は正しい》ということはないのです。

しかしフットは、「二重義務論」を採用しています。それは、《あること》を主張するためでした。そもそも「トロッコ問題」は、正義や正しさを論じたいがための思考実験ではなかったのです。

次回予告

『考えよう』第七回はいかがでしたでしょうか。次回も「トロッコ問題」続編です。フットの「トロッコ問題」を受け継いで、トムソンが主張した考えを見ていきます。最後には、この思考実験を通じて、フットとトムソンが伝えたかったことを見ていきます。

「トロッコ問題」は何のために考案されたのでしょうか。次回もお楽しみに。

参考文献

岡本裕一朗(2019)『世界を知るための哲学的思考実験』朝日新聞出版

 

▼「トロッコ問題」に関する記事こちらから

▶▶トロッコ問題~正しさとは何か~【考えよう①】

 

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:仲保 樹>