2023/03/20

考えよう⑧「思考実験は何のために?~『トロッコ問題』が本当に言いたかったこと~」

ある朝、あなたが目を覚ますと、意識不明のバイオリニストと背中合わせで繋げられていた。

彼は有名なバイオリニストで、腎臓に重大な病を患っていた。事態を重く見た音楽愛好協会は、あなたがバイオリニストに《適合》できることを調べ上げ、誘拐したのである。

あなたの循環器系統はバイオリニストのそれと繋げられており、あなたとバイオリニストの毒素を除去できるようにしている。

主治医はあなたに言う。

「彼をあなたから取り外せば、すなわち彼を殺すことになる。しかしたったの九ヶ月このままでいれば、彼の病気は治り、あなたも元通り一人でも大丈夫な状態になる」

 

あなたならどうしますか?

そして、それはなぜですか?

 

――さぁ、考えてみましょう。

 

はじめに

思考実験を通じて、哲学への興味や深い思考へと誘う『考えよう』の時間がやってまいりました。第八回は、第一回、そして前回に引き続いて「トロッコ問題」について扱います。今回はそのまとめです。「トロッコ問題」で本当に主張したかったテーマについて紹介します。

 

※注意※

本記事は、《人工妊娠中絶》をテーマにしています。「トロッコ問題」を理解する上で不可欠であるとして、センシティブでないように論じていますが、一部の方に不快感・刺激を与える可能性があります。苦手な方はブラウザバックをよろしくお願いいたします。

目次

トロッコ問題は《正義》の話ではない!

人工妊娠中絶の抱えていた問題:「トロッコ問題」は何のために?

人工妊娠中絶の擁護:二重結果論ではなく二重義務論で!

まとめ:思考実験は何のために?

終わりに

 

トロッコ問題は《正義》の話ではない!

冒頭の「バイオリニストの思考実験」を考案したのは、「トロッコ問題」の《線路脇の人が方向転換する》パターンを考案した、ジュディス・ジャーヴィスト・トムソンです。実は、「トロッコ問題」も、「バイオリニストの思考実験」も、同一の主張をするために用いられた思考実験なのです。

すなわち、《人工妊娠中絶の擁護》です(1)。「トロッコ問題」を最初に考案したフットも、1967年に「人工妊娠中絶の問題と二重結果論」という論文を発表し、同様の主張をしているのです。ここではじめて「トロッコ問題」として知られる思考実験が登場したわけです。

 

では、人工妊娠中絶がもつ問題を見ていきましょう。

 

人工妊娠中絶の抱える問題:「トロッコ問題」は何のために?

アメリカはキリスト教(特にカトリック)の社会である、という前提を理解しておく必要があります。では、人工妊娠中絶にかかわるキリスト教の考え(2)はどのようなものなのでしょうか。

カトリックにおいて、人間は特別な存在です。聖書によれば、人間が神に似せてつくったものであり、カトリックの教説では、そんな人間の生命をコントロールしてよいのは創造主である神のみである、としているのです。有名な「モーセの十戒」にも《人を殺してはいけない》とあります。現行のカトリックの教説では、人間は受精した瞬間から人間であるとしていて、ゆえに中絶も禁止されています(3)。

このように、人工妊娠中絶は、キリスト教社会の中で禁止されています(いました)。では中絶がまったくなされていなかったのかというと、そういうわけではありませんでした。当時どういう状況だったかといえば、非合法な中絶によって命を落とす女性が少なくなかったのです。また、母体が危険な状態で、中絶しなければ母親が絶命してしまうという場合でも、中絶を認めなかったため、それで命を落とす人も少なくありませんでした。

そのため、フットやトムソンといった哲学者は、「トロッコ問題」といった思考実験を用いた論文を発表することで、人工妊娠中絶の必要性を訴え、また、女性の自己決定権を主張したのです。(4

 

人工妊娠中絶の擁護:二重結果論ではなく二重義務論で!

カトリックによれば、中絶は《意図的に》子どもを殺害することになるので禁止されます。これは、「二重結果論」によっても補強される説明です。

そのために、フットは「二重結果論」ではなく「二重義務論」を採用し、人工妊娠中絶を擁護しようとしました(二つの論の説明は前回を参照してください)。

いくつかのパターンを見ていきましょう。フットはどのように考えたのでしょうか。

 

母子を両方救うことはできないが、中絶すれば母親は救える

カトリックの考えでは、中絶は意図的な殺人とみなされ、二人とも死亡してしまいます。フットは、《二人とも死なせてはならない》と《母親を死なせてはならない》というネガティブな義務同士の対立になり功利主義的なアイデアを採用できるため、中絶は認めるべきだと主張しています。

母親を助けるには中絶するしかないが、子を救うために母体から取り出すと母親は死亡する

カトリックの考えでは、どちらも意図的な殺人になるため、どちらも選択できず、二人とも死亡してしまいます。フットの考えでは、これは《母を殺してはならない》と《子どもを殺してはならない》というネガティブな義務同士の選択になります。功利主義的にどちらを優先すべきか迷うところですが、フットの論旨としては、母親を救うべきだという主張になります。

母を救うためには中絶しなければならないが、何も処置しなければ、母親は死亡するが子どもは無事生まれてくる

フットはこれを《最悪のジレンマ》と呼んでいます。カトリックの考えでは、母親の死亡後に子どもを母体から取り出すことになります。フットの「二重義務論」では、《子どもを殺さない》ネガティブな義務と《母親を救う》ポジティブな義務の対立になり、ネガティブな義務が優先されることになります。これはカトリックの考えと何も変わりません。そのためか、フットはこの状況に対して明確な議論を避けているのです。

 

このようにフットの考えを紹介してきましたが、どうでしょうか? どういう理論や論理で《子どもより母親を優先すべき》となるのでしょうか? そして《最悪のジレンマ》においてはどうするべきなのでしょうか?

 

あなたはどう考えますか?

そして、それはなぜですか?

 

――さぁ、考えてみましょう。

 

まとめ:思考実験は何のために?

今回伝えたかったことは、《思考実験を一人歩きさせないで》ということです。

思考実験についての一般書やウェブサイトを探していると、単に思考実験を紹介しているだけで、《だから何?》というものが非常に多く見受けられます。特に「トロッコ問題」は、理不尽な設定のおもしろさだけが独り歩きした結果、フットやトムソンの意図から離れた、文脈のない引用が過剰になされています。

音楽はサビだけを、映像は倍速で、小説は要約で──最近、さまざまなものが《単なる情報》として扱われています。筆者は、哲学や倫理学は特に《情報化》すべきではないと思ってます。思考実験や哲学者の名前を知っていても、それは《雑学》であって、《知》ではありません。《雑学》を《知》にするために大切なのは、《雑学》の奥に進むことです。

さぁ、考えてみましょう。知って、考えることが、きっと力になるでしょう。

 

終わりに

『考えよう』第八回はいかがでしたでしょうか。難しいテーマでしたが、「トロッコ問題」の本当のメッセージを受け止めて、それで何か考えていただけましたら嬉しいです。

次の思考実験でお会いしましょう。ではまた。

 

▼「トロッコ問題」に関する記事こちらから

▶▶トロッコ問題~正しさとは何か~【考えよう①】

▶▶トロッコ問題・臓器くじ~正しさはどこにある?~【考えよう⑦】

 

参考文献

岡本裕一朗(2019)『世界を知るための哲学的思考実験』朝日新聞出版

池端祐一朗(2009)「カトリックの教説から見る中絶問題──中絶に関わる諸事項の関連」立命館大学生存学研究所

https://www.ritsumei-arsvi.org/publication/center_report/publication-center10/publication-68/ (参照 2023-02-05

  

(注1)「トロッコ問題」を正義論に昇華させたものとして有名にしたのは、NHK「ハーバード白熱教室」で知られるようになったマイケル・サンデルであると考えています。
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(注2)キリスト教・カトリックの考えや教義を良い・悪い・正しい・間違いと主張する意図はありません。事実の紹介にとどまっていることを了承してください。
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(注3)さらに、受精卵状態の人間は罪のない人間です。そのため、罪のある人間を殺すよりも許されない行為であるとされます。
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(注4)「バイオリニストの思考実験」で、《あなた》がバイオリニストに繋げられている期間が《九ヶ月》であるというのも、無意味ではないでしょう。
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<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:仲保 樹>