2023/04/17

【新中学生】運動音痴でも筆記テストで頑張ればなんとかなるし、苦手なことがあっても別にいいだろうという話【副教科対策】

そのとき私はうだつのあがらない男子中学生で、体育なんてできたためしがなかった。

走るのが苦手だった。50メートル走は9秒を切ったことがなかった。運動会のリレーで毎度迷惑をかけてしまうから、それが申し訳なかった。

球技が苦手だった。蹴ろうが弾こうが突拍子もないところにボールが飛んでいく。球技大会の黄色い声援が恨めしかった。本当に恨めしかった。

運動や体育が苦手だったのは小学生の頃からであったが、小学校と中学校のシステムは結構違うものだ。だから、体育への苦手意識はそれまで以上に大きな負担となった。

中学校には「定期テスト」というものがある。学校にもよるが、ひと学期につき「中間テスト」「期末テスト」と二回のテストがある。このテストは、悪い点を取ったら怒られるというだけのものではない。多くの場合、自身の進路に深くかかわってしまう。高校入試に用いられる点数を算出する際、入試問題で取った点数と別に、「内申点」といって、学校の成績が使用されるのだ。

そしてその点数は、国語・数学・英語・理科・社会の5教科だけでなく、音楽・美術・技術家庭、そして保健体育の副教科も合わせた、計9教科で計算を行う。

自分の行きたい高校──といっても新中学生がそこまで考えているのも珍しいが──に行くためには、当然、自分の持っている点数が多い方が望ましい。となると、副教科も捨て置いていいはずがない。

こうなってくると、私としてはたまったものではない。

走るのが遅い、まともにボールも投げられない男子中学生に勝ち目はあるのか。あるいは、歌や絵が苦手な人も、受験戦争初戦敗退を余儀なくされるのだろうか?

しかし、心配には及ばない。なぜなら、それは「筆記テスト」だからである。リレーでバトンが上手く渡せなくともよい。バトンパスを行なう20メートルが「テイクオーバーゾーン」だと覚えてさえいればよいのである。

体育に限った話ではない。リコーダーの穴を上手く押さえられなくとも、どの穴を押さえるべきなのか分かっていればよい。絵の具の色を綺麗に塗れなくとも、赤・黄・青が「色の三原色」と呼ばれていることを知っていればよい。......少々端的な主張であるが。

ともかく、小学校で体育・音楽・図工・家庭科が苦手だったとしても、必要以上に怖がることはないのである。【副教科対策】と銘打ってこのようなことを言うのもどうかと思うが、教科書や教材プリントをよく読んで記憶していればよい──そうしておけば、悪い点を取ることはまずないだろう。私はそうであった。

では、具体的な傾向と対策を、科目ごとに見ていこう。

体育(保健体育)

基本的に、スポーツのルールやそれにまつわる用語を問うものが多い印象だ。「ダブルドリブル」のような反則もよく出てくる。そして何より覚えておいてほしいのは、《テイクオーバーゾーンの距離は20m》ということである。

実技でない保健の分野は、授業をよく聞くことが望ましい。しかし思春期の少年少女にとって性教育を乗り越えるのは厳しいかもしれない。だが大変真面目で大事な話なので、からだのつくりや周期などはしっかり覚えていてほしい。もし、思春期をこじらせて授業内容を茶化す同級生がいたら、「可哀相に」という目で見よう。しかしその子は、性について真面目に考えるのが恥ずかしいだけなのだ。本当は。きっと。正直、一人の人間としては、《テイクオーバーゾーン》なんてどうでもいいから、性についての内容だけはしっかり学んでほしいと思ってしまうが、これは文意にそぐわないので、長々語るのはやめておく。

音楽

「間違いなく出る!」といえるものがいくつかある。まず、作詞者・作曲者の名前だ。「滝廉太郎」とか「モーツァルト」とか、そういうのだ。次に、歌詞の穴埋め問題。授業で習った日本語の歌と、そして新一年生は校歌も要注意だ。そして、リコーダーに関する問題。どの穴を押さえるとどの音が鳴るかを塗りつぶす問題は、《音楽筆記テストあるある》と言えるだろう。

音楽では、他の教科にも増して、教師がプリントを配ることが多いという偏見がある。教科書に載っていない歌曲を取り扱った場合は、教科書だけで勉強しないように注意しておこう。

美術

絵画の技法を問う問題がよく見受けられる印象だ。「点描」「エッチング」あたりだ。十二色相環はややこしい割によく問われる。「きみのだいだい」だの「あかみのだいだい」だの、「だいだい」に二種類あることを知るのである。また、音楽と同じく、製作者の名前を問う問題はよく出てくると思われる。余談であるが、筆者は、教科書に載っていた岡本太郎の『森の掟』という作品が非常に好きである。

技術・家庭

技術科は、工具の名称インターネット・パソコン用語をきく問題が印象的だ。また、復習を超えて注意したいことがこの技術科にはある。大学入試共通テストに《情報Ⅰ》という科目が追加される。大学受験を見据えて、情報リテラシーは身につけておこう。否、大学受験と関係なく情報リテラシーは身につけよう。SNSで承認欲求を低次元に満たすのは絶対にやめよう。

家庭科は、《衣》と《食》が主な分野だ。《衣》では手縫いの方法、ミシンの扱い方、洗濯の方法を覚えておこう。《食》は、五大栄養素とその食品を把握しておくとよい。調理実習があったときは、その手順や「煮干しの頭とワタを外して苦みを取り除く」のようなコツをおさえておこう。

さて、いざテスト前の期間になってくると、英単語の暗記や、文字xの入った式の計算にあっぷあっぷしてしまう。そんな中、「十二色相環」を覚えるのに、果たして労力を割けるだろうか。たいていの場合それは不可能であるか、あるいは優先順位が低い。つまり、副教科の勉強はなおざりになってしまうことが多い。

5教科の勉強に時間を割いてしまうならば、副教科はその授業中に真面目に勉強すればよい」と言われるかもしれない。たしかにそれは有用な理想論だ。けれども、周りに流されず、真面目に授業を聞くことの難しさを、生徒・児童らは身に染みて分かっていることだろう。

続いて、どのように勉強していけばよいか、私自身の具体例を紹介することにする。

やはり勉強の中心は基本5教科で構わない。入学試験にも絡んでくるためである。苦手だなぁと思う科目を重点的に、問題集を解くなりして練習を積むのがよい。しかし、同じ教科ばかりこなしていると、疲れてくるし、飽きてくる。そういうとき、スマートフォンを開く代わりに、副教科の教科書を開いてほしい。問題集を入手する必要性は必ずしもない。なんとなく読めたなと思ったところで、英語なり数学なりの勉強に戻ってもらいたい。それを何度か繰り返し、定着させていくのが良い。勉強すべき《ヤマ》は、先述したものを参考にしてほしい。

勉強studyの語源は、一説には、ラテン語のstudeoであるという。それは「熱中する」「打ち込む」という意味である。

中学生という肩書きを得れば、本格的な部活動も始まり、浮かれることも多いだろう。部活動もしたい、ゲームで遊びたい、テレビ・映画を観たい......。しかし、定期テストはその浮かれた気持ちを打ち砕きうる。浮かれた気持ちが打ち砕かれると、ともすれば打ちひしがれてしまう。打ちひしがれると、勉強へのやる気がすとんと落ちてしまう。だからこそ、熱心に勉強に打ち込まねばならないし、打ち込むからこそ勉強なのである。

副教科を勉強することも、基本5教科を勉強することと同じくらい大事であると思う。勉強しようと思えること自体が、あるいは価値のあることなのかもしれない。

私の中学校生活の中で、保険体育の評定が「3」を下回ることはなかったと記憶している。勉強することが、運動が苦手な私にとって、唯一の対抗手段であった。しかし、だからといって、私が黄色い歓声を浴びることはなかったのである。

勉強ができて黄色い声援を浴びられるのはテレビに出るようなインテリ層ぐらいであって、特に中高生なんて時分は、「スポーツができてナンボ」という固定観念に支配されている節がある。

けれども私は黄色い声のために勉強していたわけではないし、勉強とはモテるためにやるものではない。だから別に構わない。

ともかくこの文章で伝えたいことは、苦手なことがあっても別に構いやしないではないか、ということである。評定だろうが人間への勘定だろうが、それはたった一つの指標で決定されるものではあるまい。マハトマ・ガンディーも人間性において批判されることがある。実技が苦手なら筆記を勉強すればよいし、「勉強しよう」と思えることが素敵な個性だ。悲観的になることは全くない。自分のできることを模索するための学校生活であるし、青春というモラトリアムなのである。

かくいう私は、もれはもう全くモテやしなかったが。

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:仲保 樹>