2023/05/22

【読書】読書・読書・読書【読書】

大人は誰だって「本を読め」と言う。

 

教師も親も、「命を大切に」と言うのと同じくらい、「本を読め」と説教してくる。大学の入学式でも、判を押したように、学長が「本を読め」とスピーチを行っていた。

 

当時、若かった私は、「必ずしも本を読まなくてもよい。人生を変える出会いが、音楽や映画や芸術であっても良い」と、愚かしくもこぼしたものである。当時の私は半分正しいと思う。人生を変えるような出会いが、あるいは人生の糧となるような作品が必ずしも本である必要はない。だが半分は大いに間違っている。

 

だが、今の私は声を出して言いたい。これを読んでいるのが小中高生であるなら、特に伝えたい。

 

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われわれは知っていることしか書くことができない

私はフリーステップ講師という身分であるため、小中高生の文章を目にする機会がある。添削することもある。作文を添削していて衝撃だったのは「読める文」を書いている人の少なさである。

 

では「読めない文」とは何か。内容がおもしろくない、という意味ではない。内容以前に、日本語として文法がおかしい文のことである。

 

作家・鈴木輝一郎氏は、雑誌のインタビューにて、「新人賞の第一次選考は、日本語としてちゃんと読めるなら通過できる」といった旨の発言をしていた。われわれは、自分で思っているよりも、きちんとした文を書くことができないのかもしれない。

 

文章を書くのが苦手な小中高生についてよく調べてみると、「国語が苦手」「本を読まない」と答える。本を読んでいない人が、すなわち、きちんとした日本語に触れていない人が、正しい文章を書くことができるだろうか。

 

子どもは、(言語を理解するためのシステムが先天的に備わっているという説もあるが)外的な刺激を受け、喃語、一語文、二語文......と言語を学んでいく。知っている言葉しか、子どもは運用することができない。正しい刺激によって正しい文や文法を学び、母語を身につけていくのである。小学校に入り、はじめてきちんとした書き言葉を教わる。文字もそこで習うため、本だって読めるようになる。本が読めるようになると、言語のインプット量が著しく増えていく。そうなって初めて、われわれは文章が書ける。われわれは知らなければ書くことができない。

 

読者の皆さんは、英語の文法を既に習っているだろうか? 中高生ならば、ある程度習得しているだろう。では、辞書以外のツールを用いずにどのくらい英作文できるだろうか。おそらく多くの人にとって、それは難しいこととなるだろう。

 

すなわち、知っているだけでは文を書くことができない。これは情報と知識の違いと同じである。つまり、身につけなくてはならないのだ。

 

なぜ本を読まなければならないのか

まともな文を書くためには、文法や文構造を知り、それを自らが運用できる形で身につけなくてはならない。まともな文が書けないのならば、アカデミックの世界はおろか、ビジネスやアートの分野でも門前払いを受けるだろう。

 

「きちんとした文が書ける」とは、「きちんと教育を受けた人間である」ことの証左となるからである。きちんと教育を受けた人間は、きちんと思考でき、きちんと表現できる人間=できる人間であると見做される。

 

「学校の勉強なんて役に立たない」と嘯く(うそぶく)実学第一主義者がいる。一万歩譲ってその言説を受け入れたとしよう。そうだとしても、われわれはまず、文章を書くために、本を読まなければならない。文学的・学術的に優れた文章を書く以前に、日本語として意味の通る文章を書けるようにしなければならない。

 

文が読めなければ、文が書けない。論理的に正しい文章を書けるということは、だから本を読まなくてはならない。それも、きちんとした本を読まなければならない。本の中には、文字よりも絵が多いものもある。そもそもきちんとした文で書かれていない本も少なくない。だから、リテラシー()を高めなくてはならない。きちんとした文を読んでいないと、それがきちんとした文なのかどうか分からないのである。

 

終わりに:本の持つ知識、本の持つ世界

もちろん、本を読まなければならない理由は、「文章を書けるようになるため」だけではない。

 

本は知識の宝庫であり、未知なる深い世界への鍵である。われわれは世界の多くを知らない。「必ずしも本を読まなくてもよい。人生を変える出会いが、音楽や映画や芸術であっても良い」と若き私は言ったが、その私の見えていた世界のなんと狭いことだろう。

 

植松努氏のTEDxTalks(必見!)で、植松氏は祖母の言葉を引用していた。

 

「お金はねうちが
 かわってしまう
 だから
 お金があったら
 本を買いなさい」

 

貨幣価値が暴落しようと、世界が危険な状態だろうと、本の中にある知識それ自体や、世界が形を変えることはない。本の価値が変わることはない。長い間支持されてきた本ならば尚更である。本の価値が変わるのは、世界が変わった後である。

 

ともかく、われわれは本を読まなければいけない。読まなければ文章は書けない。読めなければ世界を知ることができない。そして、世界を知らなければ、世界で生き抜くことができない。きちんとした文を読んでいないと何がきちんとした文か分からないように、世界のことを知っていないと、真実という仮面をつけた嘘に容易く騙されてしまうのである。

 

さて、このあたりで筆を置くことにする。

なにしろ、読んでいない本が部屋に20冊以上あるのだから。

 

参考文献・引用元:

・『公募ガイド 2023年冬号』公募ガイド社

Hope invites | Tsutomu Uematsu | TEDxSapporo

https://www.youtube.com/watch?v=gBumdOWWMhY

 

 

※「ある分野に関する知識や理解する能力」のこと
参照:weblio国語辞典より

 

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:仲保 樹>