2023/09/19

モチベーション~夏休み、結局勉強できなかった人へ~

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夏が終わる

勉強におけるモチベーション──動機

勉強するために必要なもの──インプット

 

夏が終わる


「暑いし」

「やる気でないし」

「花火見たいし」

家を出ない理由も、家を出る理由も、同じ数だけ思いついた。でも、勉強についてだけは、しない理由ばかり思いついてしまう......そんな経験はないだろうか?

仮想生徒Aは嘆いていた。

「勉強しなきゃいけない、と頭では分かっているのに。どうして、机までの距離はあんなにも遠いんだろう!」

やる気というものは、ほんの小さなひと押しで、土俵の外へ押し出されてしまう。そのことを仮想生徒Aは知っていた。知っていたのに、ただいたずらに時間が過ぎるのを許してしまった。

やがて、夏期講習や補講も終わった。学校が再開される。夏休み後のテストが返ってくる。

「あぁ、こんなもんか。でもまぁ、いいか──」

夏休み勉強できなかった人へ.png

良くない。まったく良くない。だが、「モチベーションがない」「やる気が出ない」というのは、経験上よく分かる。いつだってモチベーションMAX、やる気全開で取り組める方が稀だ。そんなに気を張っても、かえって疲れてしまうだろう。

仮想生徒A「では、どうやってモチベーションを上げればいいんですか?」

 

勉強におけるモチベーション──動機


ゲームをプレイするときのことを考えてみよう。

 

「ゲームを先に進めるには動機が必要です。主な動機は『先を見たい』ということになりますが、その欲求が出てくるためには、先に対する期待を見せなければなりません。つまり先を見たいと思わせる魅力がゲーム内に必要だということです」
(引用元:やり直しに見合う魅力はあるか? 【ゲーム性】/桜井政博のゲーム作るには https://www.youtube.com/watch?v=4FZuw1euwSU

 

ゲームの最終目的(世界を救う? 囚われの姫を救う?)が分からないままでは、コントローラーを握っていたくはないだろう。何のためにステージを進め、敵を倒しているのか? 先に進めば、一体何が見られるのか──?

仮想生徒A「元々ストーリーらしいストーリーのない、ソーシャルゲームは別ですがね」

でも、貴方にはストーリーがある。人生という、壮大なストーリーが......。

仮想生徒A「......はあ(随分な言い回しだな)」

勉強するときも、同じようなことが言える。つまり、勉強には目的が必要なのだ。往々にして、勉強とは単調な作業に思える。英単語や漢字を覚えたり、計算練習を繰り返したり。

このフリステウォーカーには、勉強について多くの「攻略法」が載っているが、しかし攻略法を知っていても、「プレイしたい」と思えないのなら、上手に役立てることができない。

夏の終わり。今、立ち止まっているのなら、辺りを見渡し、探索し、調査をするべきだ。なぜ勉強しているのかを。

自分が何をしたいのか。

どんな高校・大学生活を過ごしたいのか。

将来、どんな人間でありたいのか。

進んだ先に、どんな景色を見たいのか──

仮想生徒A「私の夢は、将来の夢は、何だっただろう......」

勉強するために必要なもの──インプット


 

「書けないのは、たぶんインプットが足りないからです」
(引用元:小説家・新川帆立さんに聞く「ミステリー小説の書き方」#創作大賞2023 https://note.com/events/n/nff37818f57b0

 

国語の先生にも口酸っぱく言われているかもしれないが、文章を書くためには、文章を読まなければならない。英作文だってそうだ。正しい英語を知らないと、英文を書くことなんてできない。

先ほど引用した新川帆立氏は、『元彼の遺言状』(宝島社 2021)など「お仕事ミステリー(ある職業についての内情を絡めつつミステリーを展開するジャンル)」で知られる小説家である。そのため新川氏は、その職業についてのインプットを欠かさない。インプットができたとき、ようやくアウトプットができるのだ。

そしてこれは、勉強についても同じなのだ。勉強するためにはインプットすなわち情報収集が必要で、そしてそれこそが勉強する動機になるのである。

自分が進学したい高校・大学はどんなものか。

学校ごとにどんな違いがあるのか。

学べる学問にはどういうものがあるのか。

そもそも、高校や大学ってどういうものなのか──

仮想生徒A「ちゃんと考えたことは、なかったかもしれない......」

ここフリステウォーカーでは、学校選びのポイントや、進学のためのさまざまなイベントの紹介・告知をしているので、今後も定期的に覗いてみてほしい。

仮想生徒A「それにしても、定期的に宣伝を挟みますね」

 

終わりに──また夏が来る

生きてさえいれば、また夏がやってくる。

紅葉が降り、雪が降り、桜が降り、そしていつしかまた、蝉時雨が降る。

生きるということは、この繰り返す時間の中で生きるということだ。しかし同時に、過ぎゆく時間の中で生きるということでもある。変わらない繰り返しがあれば、変わっていくもの、変えていくべきものもある。

「次の夏こそは、来年こそは......」そんな季節をもう何度繰り返してきたか。

仮想生徒Aは思った──来年の夏、もう同じことを思わずにすみますように、と。将来の夢のことを、私がちゃんと思い出せますように、と。

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:仲保 樹>