2020/12/21

古典入門 百人一首カルタ【第4回】

いよいよ今年も残すところ僅かとなりましたね。冬になりめっきりと冷え込んで、人肌恋しい季節となってまいりました。冬にはクリスマスに始まりバレンタイン、ホワイトデーと恋にまつわる行事が多く集まっているのも、人恋しさを感じる季節だからなのかもしれません。大切なひとの温もりが愛おしく感じられる、冬という季節にはそんな魔法がかかっているのだと考えるとなんだかロマンチックな気分になりますね。

そして、百人一首にもそんなロマンチックな恋の歌がたくさん収められています。今回はこれまでとは少し趣向を変えて、一千年近くもの昔に今と変わらず激しく燃えた恋の歌の中から一首を紹介したいと思います。

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「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする」

(現代語訳)

わたしの命よ、いっそ絶えてしまうのならば絶えてしまえ。このまま生き長らえてしまうのならば、堪え忍んでいる心が弱ってしまって困るから。

文法と語彙

文法

・「玉の緒よ」の「よ」は呼びかけの意味を持つ間投助詞です。ここに間投助詞を挟むことによって、後ろの命令形の口調をさらに強調するような働きもしています。

・「絶えなば」の「な」は強意の助動詞「ぬ」の未然形です。「ぬ」は連用形に接続する助動詞であるため、「絶ゆ」は連用形に変化しています。

・「絶えなば」「ながらへば」の「ば」は順接仮定条件の接続助詞です。接続助詞の「ば」には、〈〜ならば〉の意味になる順接確定条件と〈もし〜ならば〉の意味になる順接仮定条件の用法がありますが、前の語との接続で判別することができます。「已然形+ば」ならば順接確定条件で、「未然形+ば」ならば順接仮定条件になります。今回はいずれも「未然形+ば」の形になっているため、順接仮定条件〈もし〜ならば〉の意味であると判断できます。

・「絶えね」の「ね」は強意の助動詞「ぬ」の命令形です。「絶えなば絶えね」のような形は、投げやりな感情を表現する形としてしばしば用いられます。

・「よわりもぞする」の「も」と「ぞ」は係助詞です。一説には「もぞ」で一つの助動詞と捉える説もあり、〈〜すると困る〉〈〜すると大変だ〉と言う意味で用いられます。また、「ぞする」の部分は前回の記事でも学習した係り結びの法則が用いられています。サ行変格活用の動詞「す」が連体形に変化している点に注意してください。

語彙

・「玉の緒」とは、元は首飾りなどに使われる宝玉を貫く細い紐のことを指す言葉です。玉と魂は同じ「たま」の読みであることから魂を体に繋ぎ留める糸、すなわち生命を指す言葉として用いられるようになりました。

・「忍ぶ」には、耐え忍ぶすなわち堪える、我慢するといった意味と、包み隠す、秘密にするといった意味がありますが、この歌の場合は苦しい想いを堪えていると言う意味で読むことができます。

歌の背景と鑑賞

さて、それでは歌の背景について鑑賞していきましょう。

この歌の作者は式子内親王です。式子内親王は後白河天皇の第三皇女として生まれ、賀茂斎院として約十年間賀茂神社に仕えていました。斎院とは、京都に今も残る上賀茂、下鴨両神社の祭祀に仕える歴代の内親王や女王のことであり、未婚の皇女が就く役職の一つです。

百人一首を選定した藤原定家の父である藤原俊成に師事して歌を学び、和歌の道に生きたという式子内親王にはさまざまな逸話が残っています。その中で、この歌に関連して残されている一つの逸話をご紹介しましょう。

藤原定家は式子内親王の家で小間使いのような仕事をしていたとされ、両者は相応に深い関係にあったとされています。当時の人々の目から見ても彼らはそのように見えていたのでしょう、二人の間に噂が立ち、父である俊成は別れさせようと定家の家を訪れました。ちょうど定家は留守にしており、部屋の中には内親王の手で書かれたこの歌が残されていた。これを見た俊成は強い思いに心を打たれ、何も言わずに帰っていったといいます。

この逸話が真実であるかどうかは分かりません。しかしもしこれが真実だったとすれば、この歌を詠んだ内親王の感情だけでなく、これを百人一首に選定した定家の想いまで踏まえると切ない気持ちになりませんか。

間投助詞や強意の助動詞を多用し、命令形で締められた頭の二句のいっそ投げやりなまでの強い想いと、それと対比するように、堪え忍んでいる秘めた恋が表に出てしまうと困る、と弱々しく吐き出される後半の本音。秘めねばならぬのに溢れてしまいそうなほどの恋心を詠んだこれほどまでに熱烈なラブレターを、自らの代表作とも言える歌集に収めた定家は、二人の恋の証を後世にまで残そうとしたのでしょうか。

定家の書いた日記である『明月記』には内親王との交流がしばしば登場し、内親王の死の直前にも何度も見舞いに行っていた記録が残っています。百人一首が選定されたのは彼女の死後しばらく経ってからのことであることも踏まえてこの句の背景を考えると、定家の中で内親王がどんな存在だったのかを思って胸が詰まるような心地がします。

周囲に知られて引き離されたり二度と会えなくなってしまったり、はたまた想い人に迷惑がかかってしまったり。そんな思いをするくらいならばいっそ、心の奥深くに大事に大事に秘めたままで死んでしまいたい。今も昔も許されぬ恋というものは辛く切なく、人々の心を燃え上がらせ強く揺さぶる力があるように思います。ずっと昔を生きた彼らも今と同じように、辛い恋に身を焦がし我が身を嘆いていたのだと思うと、不思議と親近感が湧いてくるような気がしませんか。

いかがでしたか。今回はいつもより文法事項が盛り沢山の歌でした。和歌特有の特殊な技巧が使われているわけでもないのに、たった三十一文字にこんなにも多くの文法が使われているとは驚きですよね。そのぶん作者の強い感情がひしひしと伝わってくるようで、それぞれの文法の効果や重要性をよく感じられる歌であるように思います。

こうして恋の歌を鑑賞していると、恋愛というものはいつの時代も人々の興味を惹くコンテンツなのだなぁと感じます。こんな素敵な恋物語が散りばめられているのだと知ることで、少しでも古典への興味を持っていただけると嬉しく思います。

<文/開成教育グループ 個別指導部 フリステウォーカー講師編集部:浅田 朋香>