2025/08/04

藤山正彦のぷち教育学【学習性無力感Learned helplessness】

今回は「学習性無力感」という教育学用語を紹介します。

 以前、とある保護者の方から「うちの子、全然やる気が出ないんですが...」とのご相談をいただきました。とてもご心配の様子です。もう少し詳しくお話を伺うと、ある分野に限って、というお話でしたので、その分野を不得意だと思いこまずに、できない事を分析して順に解決していこうという話でその場を終えることができました。

 「やる気がない」と聞いたとき、私は教育心理学の言葉で「学習性無力感」という用語を思い出しました。読んで字のごとく、元々無気力で無い状態から、無力感を「学習によって」獲得してしまうというものです。その無力感とは

①環境に対して自ら積極的に働きかけようとしなくなる

②実際には成功できるようなことに対しても、自分の行動がうまくいくということを学習するのが難しくなる

③情緒的に混乱する

という状態をいいます。

 例えば解くことのできないパズル課題などが繰り返し与えられると、次第に、問題を積極的に解こうとしなくなり、途中から解くことができるような課題が与えられても、解かなくなり、無力感やいらだちなどを感じるといった状態になります。

 1967年にセリグマン(Martin EPSeligman)とマイヤー(Steven FMaier)(「マイアー」と表記している日本の文献もあります。)による、とても犬がかわいそうになる実験があります。あくまで学術研究の紹介としてご覧ください。

 まず、犬を3グループに分けて、ハンモックに胴体を固定します。そして、頭の前にはそれぞれ同じように動くパネルが付けられています。

 第一グループの前足に電気ショックを与えますが、頭の前のパネルを押すことで電気ショックは止まります。最初は暴れる事でパネルが偶然押されるのですが、そのうち電気ショックはパネルを押して止める事を学習します。(このグループの事を「統制可能群」と呼びます。)

 第二グループは同じような装置なのですが、パネルを押しても電気ショックを止めることができません。いろいろ犬はもがいてみますが、結局電気ショックが終わるまで我慢する事しかできません。(このグループを「統制不可能群」とします。)

 第三のグループは、同じ施設の中に入れられていますが、何の電気ショックも与えられません。(このグループを「対照群」とします。)

 さて、この操作を数回繰り返した後、24時間の時間をおいてから、この三つのグループを別の部屋に移します。その部屋の床には電極があって、予告信号(ランプ点灯)の数秒後に足から電気ショックが与えられる仕掛けです。しかし、低い仕切りで仕切られた隣の部屋に飛び移ったら、その電気ショックから逃れる事ができるようになっています。最初はランプがついてもみんなうろうろ、電気ショックが来たら、みんな飛び上がって逃げようとします。数回繰り返すと、ランプがつくだけで、逃げだすようになります。しかし、ここで先の三つのグループの間で違いが出てきます。

 第一のグループ(統制可能群、つまり自分で電気ショックを止める事を学んだ犬)と第三のグループ(初めて電気ショックを経験する犬)はランプがつくと、すぐに逃げようとしましたが、第二のグループ(統制不可能群、つまり電気ショックは止められなかった犬)は積極的に逃げる事をせず、中にはうずくまったまま我慢を続け、無理やり隣の部屋に連れて行かなくてはいけないような犬まで居た、という実験です。

 この実験結果から、第二のグループは「どうせ何をやっても関係ない」という事を学んでしまったので、積極的に逃げなくなったと結論付けられています。

 これは単なる動物の学習行動に関する実験結果ですので、そのまま人にあてはめるべきではありません。この実験結果を人の引きこもりなどの問題行動やうつ病と関連させて論じる人がいますが、学術的ではありません。しかし、部分的にはヒントになる事がいくつかあります。

 まず、この「行動と結果が結びつかない」という操作が1回ではなく、複数回繰り返された、という点です。つまり、1回の大きな失敗や挫折より、小さい挫折が繰り返される方が大きな影響になると考えられます。テストで悪い点数を取る事より、毎日授業で聞かされる説明がわからない事の方が、やる気を無くさせる効果が高いとも推察されます。

 次に他の対照群が無いのでこの実験だけでは断定できませんが、第二グループにパネルを用意したのは、押すものがあって押してみたが無駄、つまり何らかのアクションを起こしたけどダメだった、という事を学習させる意味があったのだと思います。つまり、何もせずに挫折するよりも、何かした結果ダメだった方が大きな心理的ダメージがあるという仕掛けだと思います。学校などのテストの点数に例えると、テスト前に一生懸命テスト勉強したのに点数が悪かったのと、勉強せずに点数が悪かったのでは、勉強しなかった方は原因が自覚出来て(つまりあきらめることができて)気が楽になるかもしれません。以前、拙稿で「テスト不安」という項目で、テストに対するストレスで、テスト勉強から逃避してしまうという現象を書きましたが、テスト勉強と結果が結びつかなかった経験から、「勉強したって無駄だし...」と考える子どもが居ても不思議ではありません。

 小学校低学年の教室では、「この問題がわかる人は」という先生の呼びかけに対して、ほとんど全員が「ハイ、ハイ...」。ともかく指名して欲しさに先を争って小さい手を必死で伸ばしているにぎやかな光景を見ることが多いのですが、学年が上がっていくにしたがって子どもの授業中の活動量は減っていって、ついに高校では先生と目が合わないように気配を消す技まで身につけてしまいます。指名してもらえなかったので、次第に挙手する回数が減り、発表しても賞賛されないのを原因とし、「子どものやる気の芽を学校が摘んでいる」、という極端な事まで言う人もいます。行動や意欲の変化に対しては学習内容の高度化や自我の発達など影響を与えるものは他にも多々ありますので、学校だけが悪いわけではありません。しかし、無力感が学習によって身につくという事は教育する側にとっては恐ろしい事です。子どもの学習や学問に対する興味や関心を引き出す事、さらにそれを通して自尊心や社会性を生み出す事を願って教育に携わっている我々としては、子どもにマイナスの影響を与えてしまう可能性があるという意味で、考えさせられることが多い言葉でもあります。

 ところで、これに似た実験として、ネズミと電気ショックの実験を行った人もいます。結果は犬の実験と同じになったそうですが、その続きとして、レバーを押しても電気ショックが止まらない部屋に移したところ、統制可能群(先の実験と同じように、自分で電気ショックを止める事を学んだグループ)の方がより強くストレスを感じたのだそうです。逆に、レバーを押したら餌が出る仕掛けのある部屋でしばらく暮らしたネズミを、レバーを押しても何も出ない部屋に移したところ、最初から餌の出ない部屋で暮らしていたネズミより強いストレスを感じるという実験もあります。(オペラント条件付けに関するスキナーの実験)要するに学習で得たものが通用しなくなった方が、最初から知らないよりもショック、という結論です。もちろんこれまた動物実験の結果を人に応用するのは学術的ではないという前提でのお話ですが、いつも成績優秀なお子さんが、たまたま悪い点数を取ってしまったときに受けるストレスは、とても大きいものかも知れません。

 お子さんがもし、このような状況に陥った時には、不勉強を責める、加えて日々の生活態度まで否定する、など、厳しいご対応はなさらないようにお願いしたいと思います。

参考文献

鎌原雅彦・亀谷秀樹・樋口一辰 人間の学習性無力感に関する研究 教育心理学研究

No.31 pp.80-95 1983

東京学芸大学 教育心理学講座 HP(http://www.u-gakugei.ac.jp/"nmatsuo/index.html)

「大辞林」(第三版)三省堂 2006

「教育工学事典」実教出版 2000

「新教育学大辞典」第一法規出版 1990

<文/開成教育グループ 入試情報室 藤山正彦>