2022/04/04
藤山正彦のぷち教育学【集団授業の成立 Formation of a group lesson】
「字は読めるが耕すことしかできない人間よりも、字は読めなくても耕し、羊を飼い、農具を作る事の出来る人間の方が『優れた人間』である。ところが、国民教育政策は「不必要な教育を強制しようとする試みにほかならないから・・・。私はそういうものには一貫して反対する。」
「教育なんて不要だ」というこの思い切った主張は、産業革命時代のウィリアム・コベット(William Cobbett、1763年3月9日 - 1835年6月18日、イギリスのジャーナリスト・下院議員)の議会での発言です。当時「民衆の代弁者」と言われた人でさえ、教育に対する考えはこのようなものでした。19世紀初頭では、近代化の先端を走るイギリスでさえ、「親たちは子どもが学校に出席するように少しも努力しない。」もしくは「教育にとって最大の障害は子どもの親たちなのである。」というような当時の文献が物語るように、子どもは(親も含めて)強制されなければ決して学校へは行かないという状況だったようです。
一方、ホーレス・マン(Horace Mann、1796年5月4日-1859年8月2日、アメリカの教育改革者で奴隷制度廃止論者)は「学校を一つ作れば牢獄が一つ閉鎖される。」という論法で学校経費への租税支出を渋る支配階級を説得しようとしていました。一方、ジェレミ・ベンサム(Jeremy Bentham、1748年2月15日 - 1832年6月6日、イギリスの哲学者・経済学者・法学者。功利主義の創始者として有名)はまず刑務所そのものの改革を行いました。
その改革とは「パノプティコン方式」といって、円形の建物の中心に監視人の部屋を作り、マジックミラー(中から外は見えるが、囚人からは監視人が見えない)の内側から監視する事にしました。外からは看守が見えないので一日中監視されていると思い込ませることによって、囚人を常に緊張させ、勤勉な人間に変えていこうというものです。この方法は厳しそうに見えますが、刑罰=応報刑、復讐刑といった従来の刑務所の考え方ではなく、教育刑という考え方を取り入れたという点で当時は新しいものでした。「犯罪人は単に刑罰として労働をさせられてはならず、労働するように教えられねばならない。」という考えは、羊を盗んでも死刑になるような当時にあってはとても人間的なものだったのです。その方針によって運営された刑務所による人間改造(?)は人々を幸福にすると確信したベンサムは、その刑務所の成功を、次は工場や学校にも適用する事を提唱しました。そこで、その考えの延長に「精神界の蒸気機関」といわれた「ベル=ランカスター方式」が発明されることになります。
その方法とは、学力別の集団を作って、その中から「モニター」(助教と訳されています)を指名して、教師はモニターを通じて各グループを指導監督する、というものです。その様子の絵が残っていますが、数百人の生徒が座る教室(ほとんど体育館)のような広い部屋の前で、高い台の上に立っている一人の教師が講義をし、各列の端に配置されたモニターが20名程度の一列の生徒の学習状況を見て回るという様子が描かれています。
この方法によって教育のマスプロ(大量生産)に成功し、経済性と能率は恐ろしく上がりました。成績の順による毎日の座席の並び替えやクラスの入れ替えを短期間に行うなどの競争原理を働かせることによって、子どもたちが無能力者という烙印を押されることを恐れて勉強する仕組みを取り入れるなど、かつてどこかのスパルタ塾で見たことがあるようなシステムは、実はこのころに作られたものです。今ではこんな方法では主体性や思考力は育たないという意見を持つ人もいるかと思いますが、十分な知識が正しい判断力、思考力をつけるという当時の教育観からすると、とても効率の良い方法として時代に歓迎され、各国に広がっていきました。19世紀に入ったばかりのアメリカでは教育の機会が得られない低所得者向けに慈善団体による無償の「ランカスター・スクール」が作られ、ニューヨーク州では11のスクールで毎年2万人もの子どもが学んでいたとの記録も残っています。
ところで、当時のイギリスでは「タバコ」は健康にいいものとされており、小学校では昼食後に一列に並んでタバコを一斉に吸う、という時間が設けられていた時期もあるそうです。「最初は苦しいが、慣れると覚醒効果があり、学習効果が上がる。」という理由だったそうです。その頃からの伝統かも知れませんが、近年までイギリスでは16歳以上の喫煙は合法で、今では法改正されて18歳以上になっているようですが、真面目な女子高生が「気合を入れるために」試験前に喫煙するのも珍しくないそうです(もちろん日本では明治三十三年(1900年)から二十歳未満は違法ですので良い子は真似をしてはいけません)。しかし、そのような「薬物」を使ってまで効率を上げようとする当時の考え方は、産業革命という時代背景の影響だと思いますが、なんだか工場の歯車に油をさしているかのような効率主義の冷たさも感じられます。
それはさておき、その後の義務教育制の広がりや社会の成熟によって、求められる集団授業も変容していきます。今日では日本の中学校・高等学校では基本的に40名を一クラスとしていますが、そのクラスを複数の小集団に分ける展開授業に加え、逆にオンラインによる多人数視聴が可能になるなど、個人の目的やレベルに合わせた集団授業を受けることができるようになりました。
フーコー 監獄の誕生 田村俶 訳 新潮社 1977
Kaestle, Carl F., Joseph Lancaster and the Monitorial Movement, Teachers College Press, Columbia University, 1973, p.36
宮澤康人 近代の大衆学校はいかに成立したか 「新版 教育学を学ぶ」 有斐閣 1977
ピアジェ 児童道徳判断の発達 大伴茂 訳 同文書院 1954
<文/開成教育グループ 入試情報室 藤山正彦>