2022/09/12
藤山正彦のぷち教育学【理解と応用 Understanding and Application】
「うちの子は一度解いたことのある問題はできるのですが、応用ができないのです。」「応用ができないという事は理解できていないっていう事でしょうか。」このようなお悩みやご質問は、学校や塾で何度も聞いたことのあるものですが、実はそう簡単に答えられるものではありません。
そもそも、理解とは何でしょうか。
大辞林第三版によると・・・
①物事のしくみや状況,また,その意味するところなどを論理によって判断しわかること。納得すること。のみこむこと。 「内容を正しく-する」 「 -力」
②相手の立場や気持ちをくみとること。 「 -ある態度」 「相互の-を深める」
③道理。わけ。また,道理を説いて聞かせること。 「義理ある兄貴の-でも/人情本・軒並娘八丈」 → 理会
④「了解」に同じ。 〔同音語の「理会」は物事の道理を悟ることであるが,それに対して「理解」は物事の意味・内容をわかることをいう〕
というわけで、①の意味からすると、「論理によって」わかる事のようです。
さて、ここで、二つの例を使って説明させていただきます。
(例1a)三重県に尾鷲(おわせ)市というところがありますが、骨が12本ある丈夫な傘の事を、尾鷲傘と呼びます。
(例1b)三重県の尾鷲市の年間降水量は4000ミリ以上と、東京の2倍以上、大阪の3倍近くですが、年間の晴天の日の日数の割合は東京都とあまりかわりません。つまり一度に降る雨の量が多く、大雨になる事が多いのです。そこで、その地域では昔から丈夫な傘が考案され、使われていました。そこから、骨の多い丈夫な傘を尾鷲傘と呼ばれます。
知識としては(例1a)のように情報量が少ない方が覚えやすいようにも思えますが、(例1b)の文章を読めば、「なるほど、そういうわけだったのか。」と納得でき、覚えやすくなるわけです。AはBである。という論理を、AはCだからBである。と説明され、Cの部分が元から持っている知識で理解できれば「なるほど!」となるわけです。
しかし、この例の理由の部分は「尾鷲傘」というものの名前を覚えることにしか役立たず、他の地名のついた傘(たとえば長野県下伊那郡喬木村(たかぎむら)の特産品である阿島傘(あじまがさ))の説明に応用できるわけではありません。
では、次の文章はどうでしょうか。
(例2a)岩手県三陸地方にも多くみられるリアス式海岸は、天然の良港として栄えているところが多い。
(例2b)岩手県三陸地方にも多くみられるリアス式海岸は、スペイン北西部ガリシア地方のリア(ria 入江)が続く地形から名づけられた複雑な海岸地形で、外洋からの波を避ける事が出来、開析された山地が沈水してできたため海岸近くの水深が深く、天然の良港として栄えているところが多い。
(例2a)の文章に比べると(例2b)の文章では、
①「リアス式海岸」というのは地名ではなく、地形の名前なので国内の他の地域はもちろん世界中に存在する。
②なぜ「良港」になるのかの理由が書かれている事によって、逆に良港に必要な条件がわかる。
この情報から地図で海岸線の形を見ただけで、未知の場所でもそこに良港が作れるかどうか、または実際に港があるかどうかを推測することが出来るようになります。
さて、尾鷲傘の例も、リアス式海岸の例も、bの文章の方に「なるほど・・・」と感心出来る部分があります。しかし他への応用という観点で見れば尾鷲傘の例だと一般化できない、リアス式海岸だと出来る、という違いがあります。その一般化できない知識で説明する事を「有意味化」、一般化できる方の知識を「法則的知識」と呼び、その法則的知識で他の事象も説明できるようになる事を、「理解した」と考えます。
テレビのクイズ番組風バラエティー番組で、今やほぼ芸能人と化してしまった某予備校国語講師が慣用句の知識を披露していました。その中の一つに「雪辱を晴らす」という誤用について解説していたのがありまして、
「雪辱の雪は雪ぐ(そそぐ)と読んで、すすぐ、清めるという意味があるため、雪辱という熟語だけで辱め(はずかしめ)を清める、という意味になる。従って、雪辱を晴らす、だとはずかしめを清める事を晴らす(=取り除く)、つまり辱めを受け入れるという意味になってしまう。従って正しくは「雪辱を果たす」もしくは「屈辱を晴らす」・・・
この解説で、解答者である芸能人は「へぇ~」。おそらく多くの視聴者も「ほぉ~」。要するに「うんちく話」として感心した訳です。
さて、ここでの説明は「雪辱を果たす」という慣用句を正確に覚える為の「有意味化」だけですが、この番組を見て、「漢字の一文字一文字の意味を調べる事で熟語や慣用句を正確に知る事ができる」という法則を感じ取り、「漢字一文字でも次から漢和辞典も引いて、正確な意味を掴む必要があるな。」と感じた人は、慣用句や熟語というものが「理解」できた事になります。
応用というのは、このようにして「理解」で得た「法則的知識」を他に転用して考える事をいうので、「応用できない」=「理解できていない」というのは正しいともいえます。しかし、法則的知識があっても応用できない場合があります。
a)体重が50.5㎏より軽くなる。
b)体重は50.5㎏になる。
c)体重は50.5㎏より重くなる。
正解は(b)なのですが、それを選んだ大学生は40%しかいませんでした。(西林1979)
時間が経てば食べ物は消化され、エネルギーとして消費されるので体重は少なくはなっていきますが、食べた直後ですと取り入れた分体重が増えるだけです。遠足帰りに持っている水筒を軽くするために、中の水を一気飲みする小学生を見たことがありますが、水筒が軽くなった代わりに体がその分重くなっただけで、両足にかかる重さは変わりません。
「食べ物の重さも、体の中に入っただけで、無くなったわけではない。」「重さがあるものを上に積み上げるのと体の中に入れるのは、重さに関しては同じ法則が成り立つ。」という事がわかっていれば全員正解できるはずです。
このように「加法性」(法則的知識)と「食べ物と重さの変化」(個別的なことがら)との間にヒントの部分「食べ物の重さでも加法性が成り立つ」(接続的知識)が必要な事がわかります。
因みに実生活では、それまで経験しなかったことに直面した時に、それまでに得た経験や知識を応用して解決していくものですから、勉強では「応用力」と呼ばれる力は、生活では「基本」的な力と言えるでしょう。
西林勝彦 授業の構造と原理 『講座日本の学力12 授業』 日本標準 1979
西林克彦 間違いだらけの学習論 なぜ勉強が身に付かないか 新曜社 1994
「大辞林」(第三版)三省堂 2006
「教育工学事典」実教出版 2000
「教育の方法と技術」 ぎょうせい 1993
「新教育学大辞典」第一法規出版1990
<文/開成教育グループ 入試情報室 藤山正彦>