2023/12/04

藤山正彦のぷち教育学【心理学 Psychology】

小欄でも何度か取り上げた「やる気」の問題を考えてみます。ここに勉強ができないのに勉強しない子どもがいたとします。先生が説得しても、親が説教しても、勉強をしようとしません。

勉強に対してやる気が出ない子どもの理屈は次のようなものです。

「勉強は面白くない。」「勉強が何の役に立つかどうかわからない。」「いい高校、いい大学に進めばもっと勉強させられるから、面倒くさい。」等々。

この理由を一つひとつつぶしていけばやる気は出るのでしょうか。二つ目の「勉強が何の役に立つのかどうかわからない。」という理由も、勉強の代わりに時間をつぶしているネット動画や単純なゲームの方がもっと役に立たないことは明白ですが、そこを指摘しても子どもは納得しないでしょう。彼らの本心はそこには無いようです。やる気の無い子どもはいったい何を考えているのでしょうか。このような状態を説明し、解決しようとするのが心理学です。

心理学では、現象の理由を過去にも求めます。この子どもが小学校の時は良い成績を取っていて、何の努力もしていないのに、結果だけでほめられていたとしましょう。周りの友達からも一目置かれていた事でしょう。そうすると「自分は頭が良い」という自尊心を身につけていた可能性があります。

さて、中学校で学習内容が難しくなってきた時、努力をするか、しないか、そしてその結果成績が上がった自分を想像するか、そうでない自分を想像するかで、4つの選択肢が考えられます。A「努力をして成績が上がる自分」、B「努力をしたが成績が上がらない自分」、C「努力をしないが成績が上がった自分」、D「努力をせず、成績も上がらない自分」の4通りですね。さて「自分は頭が良い」という自尊心を保つためにはどの選択肢を選ぶのでしょうか。

Cがあり得ないことはさすがにわかっていますから、普通ならAを選択するべきだと思いますが、努力をしても成績を上げる自信が無くなったとき、自尊心の為に4番目のDを選択してしまうのです。これを心理学では「努力の差し控え方略」と呼びます。結果が出ない可能性があれば、努力しないほうが「自分は頭が良い」という自尊心が守れるというわけです。周りからすると少しでも頑張ってほしいのですが、子どもにとってはBが最悪のシナリオとなるわけです。

この状態から抜け出すには、「成績を上げることができないかもしれない」という不安を取り除くことです。具体的には「実際にやってみたらこれだけの成果が上がった」という小さな成功体験の積み重ねが有効でしょう。もちろんこれは一つの例ですので、やる気の無いすべての子どもにあてはまるものではありませんが、このように心の働きを科学的に分析し、解決しようとするのが心理学です。

因みに「ほめて育てる事がすべてである」といった教育論もありますが、この場合のように成長しすぎた自尊心が本人の負担になる場合もあるわけですので、個人的な経験に基づく教育論を無条件に受け入れるべきではないかも知れません。

さて、教育学の中でも、子どもの発達や、学習、意識、記憶、動機づけといった分野に関しては、心理学と重なる部分が多くあります。教育の現場に心理学を応用しようとする分野も古くから存在します。それ以外にも「○○心理学」のように心理学にはいくつもの分野がありますが、それらの関係を表したのが次の図です。

ぷち教育学1月号「図」.png

これを引用した本の著者である東京大学の市川伸一先生によると、このグラフの横軸の「基礎的」⇔「実践的」とは、事象を客観的にとらえ、厳密なデータを取って詳しく分析するアカデミック(学術的)な分野を「基礎的」とし、現実場面における問題の解決をはかるための実用性の高い分野を「実践的」と表現しています。縦軸の「個人的」⇔「社会的」については、個人を研究対象にして、個人から収集したデータを元に研究するのか、集団(人の集まり)を研究対象にしているかの違いとの事です。

この図の中で研究者が多い分野を四角で囲んでいますが、その5分野についての説明をしておきます。

①認知心理学(cognitive psychology)

ここでの「認知」とは「知る事」つまり知覚や記憶、学習、思考、理解といった人間の知的活動の事を意味します。近年では情報処理の考え方も取り入れられ、コンピュータプログラムに応用されていたりします。例えば防犯カメラやスマホのカメラ機能に「顔検出機能」というのがありますが、人が人の顔を認識するのはどこを注目した時か、という研究が元になっています。30年ほど昔に電機メーカーの研究室でこの基礎研究をしていた友人からこの話を聞いたことがあったのですが、まさかこんな身近に使える機能になるとは思っていませんでした。

また逆にプログラムの考え方を人の認知を説明するために使うようになってきており、人工知能の研究や言語学や大脳生理学とも関連を持ちながら、認知するとはどこがどのように働いているのかを明らかにしようとする研究も進んでいます。

②社会心理学(social psychology)

心理学での「社会」とは世の中全体を表すのではなく、「対人関係において」という意味で使われています。たとえ二人でもその二人が関係し合う時は社会心理学の対象となります。親子関係など家族の人間関係を扱うミクロ的なものから、学校や地域のコミュニティーの中での関係、またはマスコミの影響など広いものも対象になります。こういった広い現象を調査するのは質問紙によるアンケート調査やフィールドワーク(現地調査)を行いますので、社会学や統計学も利用される分野です。

③発達心理学(developmental psychology)

人間の精神的な成長の様子を研究する分野です。もともとは乳幼児心理学、児童心理学、青年心理学、成年心理学、老年心理学など、年代ごとに分かれていた学問分野ですが、やはり高齢化の影響でしょうか、近年では年齢を重ねると衰えるという考えより、一生を通して成長、変化するという生涯発達という考え方が主流になり、発達心理学としてまとめられています。とはいってもやはり研究件数として多いのは幼児期から小学生位の年齢層を対象にした認知発達(言語や数量などの認識の仕方)や情意発達(性格や感情、社会性などの変化)に関するものです。幼児にはアンケート調査はできませんので行動観察を行う場合もあります。

④教育心理学(educational psychology)

学校教育を中心に、学習意欲、教科の理解、教育方法、クラスでの人間関係、さらに教師の成長など様々なテーマでの研究があります。特に生徒の理解と学習方法の関係から、授業の改善に結びつけようとしている研究も世界的に行われています。授業のみならず、学校生活全体を対象とする学校心理学という用語を使う研究者も増えてきました。不登校や小中連携問題などの解決に向けて、具体的な援助を目的とした研究もあります。さらに、教育という言葉を学校教育だけでなく、家庭教育や企業内教育も含むものとして考える研究も生まれてきました。日本でも生涯教育という考え方が定着してきましたので、市民講座のようなものを対象とする研究も増えてくる事でしょう。

⑤臨床心理学(clinical psychology)

私が大学院時代に属していた専攻の名前が「臨床教育学」だったのですが、「臨床」というと文字面から病院に入院してベッドに寝ている人を連想するらしく、「病気の人向けの教育学ってあるのね。」などと勘違いされたこともありますが、実は「臨床(clinical)」というのは「現場重視の」「実践的な」といった意味です。つまり「臨床心理学」も実践的な分野で、人間関係や心理的特性などで困っている人に対し、カウンセリングやセラピーといった援助を行うための分野も含まれます。絵を描いてもらう、箱庭を作ってもらうなど様々な精神分析の方法もありますが、どの方法がどのような状況に適しているか、その後どのような頻度でどのような働きかけをするべきか、なども研究されており、これらのトレーニングを積んだ人々が臨床心理士やカウンセラーとして活躍しています。

このように、様々な分野を科学的な統計で紐解いていくのが心理学で、人の心理が読めるようになる、といった魔法のようなものではない事もお分かりいただけたかと思います。しかし、紀元前4世紀のアリストテレスの時代から考察され続けたこの分野、人の心理をもっと深く探求したいという欲求が存在し続けたという事でもあります。

通信手段の発達に従って、今までになかった人間関係が構築され、SNSやアバターでのやりとりが、新たな形の人間関係のトラブルを引き起こしています。そこで、それに対応した研究も生まれてきています。このように心理学は人がいる限り進化し続ける学問なのです。

参考文献

市川伸一 「心理学って何だろう」心理学ジュニアライブラリ 北大路書房2002

大山 正 梅本堯夫 岡本浩一 「心理学 こころのはたらきを知る」 サイエンス社 1999

<文/開成教育グループ 入試情報室 藤山正彦>