2020/09/14

藤山正彦のぷち教育学【学習と記憶① Learning and memorization①】

記憶力の良し悪しは学習に大きな影響を与えます。ドラえもんの道具に、ノートに押し付けて内容を転写した食パンのようなものを食べるとそのまま暗記できる「アンキパン」なる謎の道具がありましたが、このように手軽に「もっと記憶力が良ければなぁ。」と素直に願っている子どもも多い事でしょう。この日常的に使われる「記憶」という言葉、これについては教育学というより心理学、特に認知心理学という分野で研究されてきました。

まず、記憶というのは保持される時間的長さによって、感覚記憶(1/4秒)・短期記憶(15~30秒)・長期記憶(数日~生きている限り)に分けて考えます。

感覚記憶は、例えば横断歩道を渡るとき、周囲の安全を確認し車が迫ってきている側の映像を覚えていて立ち止まる、といった場面で利用される瞬間的な記憶です。もちろんその映像はそこを通り過ぎた次の瞬間には忘れてしまいます。この感覚記憶の中で、必要だと思ったものは短期記憶に回されます。この短期記憶は20~30秒で消失しますが、繰り返し意識する(「リハーサル」と呼ばれます)と忘れなくなり、長期記憶に変わっていきます。これまたたとえ話ですが、大阪を歩いていてすれ違った人の中に、お相撲取りのような着物姿の大きな男がいたとすると、「あれぇ?今大阪で大相撲やっていたかな?」と考えたりするわけです。するとその事実を何度も意識することとなり、その数日後に友達にこの事を話すまで覚えていたりするわけです。

このことを学校で授業を受けて、内容を覚えるという場面に置き換えてみると、次のようになります。学校などで授業を受けているとき、先生が漢字の熟語を説明しながら黒板に書いたとしましょう。

① 黒板に書かれた漢字を見ながらノートに写します。(ここで使われているのは感覚記憶)

② 先ほど聞いたばかりの熟語の読みと説明も書き込みます。(数10秒前に聞いた事を再現しているので、ここでは短期記憶)

③ そのあと、他の科目の授業を受けたり、放課後友達と話をしたりしているうちに、この内容はすっかり忘れてしまいますが、家に帰ってからノートを開くと、再び授業内容を思い出します。習った熟語の読みと意味を確認し、改めて覚えておこうと意識します。(この段階で記憶は長期記憶に送られます。)

学習で必要とされる記憶は長期記憶ですので、そこまでのプロセスに何か問題があれば覚えるというスタートラインに立てないことになります。授業中にメモを取らずに先生の話を聞き流している人は、感覚記憶から短期記憶の部分が欠けています。一方丁寧な、実に美しいカラフルなノートを作っているが、定期テストで点数が伸び悩んでいる生徒を見かけることもありますが、もしかすると授業中、黒板を写した後は先生の話を聞かずに色塗りに没頭していたのかもしれません。逆にノートをあまり作らないのに良い点数を取ってくる生徒もいます。これは集中して(または楽しんで)授業内容を聞き、頭の中での繰り返しを行っているのでしょう。

「宣言的記憶」と「手続き的記憶」

長期記憶は情報の内容によって「宣言的記憶」(declarative memory)と「手続き的記憶」(procedural memory)に区別できます。駐輪場に止めた自転車に戻り、鍵を開けて乗って家に帰る場面を例にとって説明しますと、「自分の自転車は駐輪場の入口に近いほうにある。」などと言葉で宣言できる記憶が「宣言的記憶」で、自転車にまたがって、右足に力を入れてペダルをこいで、バランスを取りながら電信柱を避けて・・・など特に言語的に意識せずに再現できる手順が「手続き的記憶」となります。

数年ぶりに自転車に乗ってみたが、問題なく乗れた、というようにこの手続き的記憶は一度定着すると簡単に忘れない性質のものでもあります。いわゆる「体で覚えている」という記憶です。

「エピソード記憶」と「意味記憶」

一方の「宣言的記憶」はさらに「エピソード記憶」(episodic memory) と「意味記憶」(semantic memory)にわけることができます。「先週の日曜日、スーパーで久しぶりに会う同級生に声をかけられたので、立ち話をしていたら、買うつもりだったマヨネーズを買い忘れた。」などと、時間や空間の文脈の中に位置付けることができる出来事の記憶が「エピソード記憶」で、「マヨネーズは卵黄とお酢とサラダ油が主成分である。」といった一般的な知識として語られるものが「意味記憶」です。

記憶の特性を生かした学習法

さて、教科の学習で、どの記憶を使うのかというのは結構大切なところです。たとえば世界史の学習というのはエピソード記憶の定着そのものだと考えられます。実際に高校の世界史の先生は、教科書に書かれていないレベルの知識まで使って、その歴史上の人物像や事件の背景を熱く語ってくださっていると思いますが、それは生徒にエピソードとして歴史を捉えてもらいたいと願ったうえでの活動なわけです。しかし、その授業が昼休みや体育の授業後で、しかも穏やかな口調の穏やかな先生だと、高校生たちは気を失っていたりします。そして、試験前になって一問一答や穴埋め問題集で、時には変な語呂合わせで人名や用語だけを「意味記憶として」または「無意味な音節の羅列として」暗記してしまうので、エピソード記憶はついに定着することなく試験期間が終わってしまうわけです。これでは歴史好きにはなれないわけです。因みにエピソード記憶には感情がつきものであるといわれています。歴史が好きで得意な人は、この時代ならこの人が好き、といった感情を伴っていることが多いようです。また、記憶とは何度も繰り返して覚えなおすと定着すると思われていますが、エピソード記憶は刺激回数が1回でも定着するという性質があります。たとえば映画やドラマは1回見ただけでストーリーや人物関係を忘れることがありません。同じように歴史が好きな子どもは、時代や人物のイメージが一度つかめば、そのあとはあまり勉強しなくても良い点数が取れるようです。

2000年のスウェーデンのニーベルグ(Nyberg,L.)らの研究によると、エピソード記憶は男性より女性の方が優れているとの説があります。(あくまでも17名ずつの男女での調査ですので参考程度ですが・・・)たしかに物語に没頭したり、自分の体験を細かく語れるのは女性の方が多いような気もしますので、この研究はその直感を証明したものだともいえます。

それでは男子は世界史に向いていないのか、という極論になりそうですが、実はそれぞれの特性を生かした学習法というのがあるので、学校のテストレベルでは工夫次第で十分戦えます。エピソード記憶が弱いと思う人は、まず意味記憶で補うことを考えます。まず知識を繰り返して定着させた後、その関係を構造化すればテストには通用しますし、本当はそれを通じて、エピソード記憶も鍛えていけば、次第に学習効率も高まるというのが正解です。言い換えれば、歴史上の事件がどのような背景や必然で起こったのか、その結果どのような変化が当時の社会に起こったのかを掘り下げて考え、エピソードを自身の頭の中に再構成することで忘れない知識となっていくわけです。

それはさておき、記憶と関係のある脳の部位は海馬だという説がありますが、それを信じるとすれば(実は健康な人の脳の機能に関する研究はそれほど進んでいません。)マウスを使った実験によると睡眠時に記憶を定着させるための脳波が海馬から出ているそうですので、記憶には睡眠が欠かせません。ほぼ徹夜で一問一答を使って一夜漬けをするのはエピソード記憶が育たないばかりか記憶そのものができない状態に脳を置くことになりますので、実に間違った学習法だといえます。私の友人で、高校を卒業するまで、試験前に試験勉強をするのは不正行為だと思い込んでいて、試験期間に入ったら自分の好きな本を読んで早く寝る、という習慣を持っていた(試験の1週間前に部活禁止になる理由を、先生が試験問題を作るので大変だから、と信じていた・・・)という不思議な人がいますが、大学在学中に公認会計士の試験に合格するなど記憶の達人になっていました。まあ今考えると、その人は試験期間に入る前に試験勉強を終えていたので、逆に試験期間中にはその暗記した内容を思い出しつつ、さらに疑問を感じたり感心したりしながら、普通の人にとっては味気ない用語や人名が「エピソード」になっていたのかもしれません。

【参考文献】

Bjork & Jongeward,et al. "The relative roles of input and output mechanisms in directed forgetting" Memory and Cognition 1975 Vol.3(1) 51-57

黒石岳広ら「恐怖学習後の睡眠時脳活動の計測と解析」電子情報通信学会技術研究報告. MBE, MEとバイオサイバネティックス 112(297), 53-57, 2012

森 敏昭  第一章 「記憶の仕組み」 グラフィック認知心理学 サイエンス社1995

Nyberg,L.et al. Brain activation during episodic memory retrieval: sex differences.

Acta Psychol (Amst). 2000

<文/開成教育グループ 入試情報室 藤山正彦>