2025/02/03
藤山正彦のぷち教育学【レディネス readiness】
教育学における「レディネス」(readiness)とは、アメリカの心理学者、エドワード・L・ソーンダイク(1874-1949)によって提唱された概念ですが、学習者が特定の学習活動や教育的経験に適切に参加できる準備状態のことです。例えば漢字には意味を表す部首と音を表す部分で成り立っているもの(形声文字)が多いことがわかれば、漢字学習は一気に進むと思いますが、その理解がまだの幼児に漢字の練習をさせても学習効果は薄いと思います。このレディネスという考え方は学習の効果や効率を高めるために重要であり、発達心理学や教育心理学、カリキュラム設計の分野で頻繁に論じられています。
1.レディネスの定義
レディネスは、学習や新しい課題への適応能力を支える心理的・身体的な準備状態を指します。具体的には以下の要素を含みます。
知識的要素: 既存の知識やスキルが新しい学びに適用可能であること
発達的要素: 心理的・身体的な発達段階が学習内容に適していること(Piaget, 1970)
動機づけ要素: 学ぶ意欲や好奇心が高まっていること
環境的要素: 安全で支援的な学習環境が整っていること
2.レディネス理論の基盤
レディネスは、発達段階や個々の能力の違いに基づいて考えられます。
(1) 発達段階に基づく理論
ピアジェの発達理論
ピアジェ(Piaget, 1970)は、子どもの認知的発達段階を基盤に、適切なレディネスが必要であると提唱しました。例えば、抽象的思考を必要とする課題は、形式的操作期(約12歳以上)の子どもに適しています。
ヴィゴツキーの最近接発達領域(ZPD)
ヴィゴツキー(Vygotsky, 1978)は、学習者が自力で達成できる範囲と、支援を受けて達成できる範囲(ZPD)に注目しました。例として1メートル高さの台に上る課題を考えたとき、身長や腕力によって必要な踏み台の高さが変わると思いますが、このZPDというのはこの踏み台で、レディネスは1メートルから踏み台の高さを引いた高さ、つまり自力で上ることができる高さになります。自分で上がれる高さがわかれば、必要な支援の量が決まるという考え方です。
(2) 学習動機に着目した理論
Bandura(1986)の「自己効力感」理論によれば、学習者が自分の能力に自信を持つとき、レディネスが高まるとされています。先の1メートルの台に上る課題を考えたとき、自分よりも小柄な子どもがよじ登ることに成功したのを見た後では、自分も登れるはずだから何とか頑張ろうと考える子どもがいても不思議ではありません。
3.レディネスを高める教育的アプローチ
教育現場では、レディネスを高めるための戦略が重要視されています。以下に具体例を挙げます。
(1) 診断的評価の活用
学習者のレディネスを評価するための診断的評価(diagnostic assessment)が効果的です。これにより、学習者の既存の知識やスキルを理解し、適切な指導方法を計画できます。ある意味において、入学試験にもこの役割が期待されています。例えば大学で土木設計が専門の学生は、ある程度の数学や物理の知識が無ければその学問を理解する事ができないので、それらの科目の入試が行われているわけです。医学部の入試に数学Ⅲまで課されているのは、医学で数学が必要だから、というより、入学後に必須となる大量の学習量をこなす能力が判断されているのかもしれません。
(2) 段階的な学習目標
新しい学びへの準備を整えるために、学習内容を段階的に導入します。これにより、学習者は既存の知識を新しい知識と関連付けやすくなります。小中学校の積み上げ型のカリキュラムはこの考えで作られています。
(3) 環境の整備
心理的安全性の確保(学習者が失敗を恐れず挑戦できる環境)も必要です。自信がレディネスに含まれるというBanduraの理論を先に紹介しましたが、間違えたりできなかったとき、周りから笑われたり、からかわれたりすると、その自信は一瞬にして消え去ってしまうでしょう。そのような学習集団にならないように環境を整えることも大切です。一方で本人がそのような「逆境」を跳ね返し立ち直る力(レジリエンス)を獲得する事も大切です。学生時代に部活動に打ち込んだ子どもの方がこの力が強いという研究もありますので、またの機会に紹介します。
4.レディネスとカリキュラムデザイン
カリキュラムデザインにおいても、レディネスの概念が応用されています。
スパイラル・カリキュラム(Bruner, 1960)
学習内容を繰り返しながら徐々に難易度を高めることで、学習者が常に適切なレディネスを持って取り組めるよう設計されています。小学校の算数・中学校の数学のカリキュラムは毎年「数と計算」「量と測定」「図形」「数量関係」の4分野を毎年積み上げながら無理なく学び続けることができるようになっています。
学びの統合
横断的な学び(複数教科を結びつける学習)は、学習者の既存の知識を活用するため、レディネスの向上に寄与します。国語の読解問題は素材文の言葉の知識だけではなく、歴史的な背景や地理的な知識なども役に立つわけですし、高校の物理の力学では三角比など数学の知識が必須となります。難関校には理系なのに歴史が好き、文系なのに数学が得意といった生徒が珍しくありませんが、科目間の垣根を作るのではなく、互いに利用して理解していると考えられます。
5.日本における事例と実践
小学校での入学準備教育 日本の幼児教育では、小学校入学に向けた基礎的な能力(社会性、文字・数の認識など)を育む取り組みが一般的です。文部科学省は、幼小連携を強化する政策を推進しています(文部科学省, 2018)。
レディネスの概念は、最適な段階になってから学ぶことで、効率的に学習できる、という考え方ですから、無理な早期教育には警鐘を鳴らしています。今では人権的な問題があり、再現する事が難しいと思いますが、アメリカの心理学者であるアーノルド・ゲゼル(1880-1961)の実験が有名です。一卵性双生児の赤ん坊に階段上りの課題を与えます。一方には生後45週目から練習させます。生後53週目には、もう一方も練習に加わります。8週間のアドバンテージがある先に練習を始めた赤ん坊の方が早く登っていましたが、これが2週間で逆転したというのです。ここから、何かを始めるのは心身がそれにふさわしく発達してからの方が効率的だよ、と結論付けたわけです。
ネットのニュースで52歳からピアノを始めた海苔漁師の男性が60歳でコンサートに出演するという記事を読みましたが、この人にとっては52歳がピアノを始めるためのレディネスが満ちたタイミングだったということです。
出典と参考文献
Bandura, A. (1986). Social Foundations of Thought and Action: A Social Cognitive Theory. Prentice-Hall.
Bruner, J. S. (1960). The Process of Education. Harvard University Press.
Piaget, J. (1970). Science of education and the psychology of the child. Orion Press.
Vygotsky, L. S. (1978). Mind in Society: The Development of Higher Psychological Processes. Harvard University Press.
文部科学省 (2018). 「幼児教育と小学校教育の接続」.
<文/開成教育グループ 入試情報室 藤山正彦>