2025/07/07

藤山正彦のぷち教育学【学歴と生涯年収 Educational background and lifetime income】

 今回は、「教育学」ではなく、関連する学問に関する考え方について書いてみたいと思います。

 「教育経済学(Economics of Education)」という学問領域があります。教育への最適な資源配分の提言や、教育政策の経済的効果を科学的に評価、教育を通じた経済的・社会的格差の是正支援、長期的な経済発展に貢献する教育戦略の立案、労働市場との整合性を高める教育改革の方向性を示すなど、現代社会にとっては無くてはならない分野です。但し「教育」を題材にはしていますが、あくまでも経済学の視点ですから教育学とは異なります。

 経済学の他の分野と同じように、アメリカで盛んに研究がなされてきました。特に経済成長や早期プログラムの経済的効果に関する研究はアメリカやカナダが最先端です。日本でも、「学力の経済学」という著書で有名な慶應義塾大学の中室牧子教授の教育政策評価や東京大学の山口慎太郎教授による労働市場と教育の相互関係に関する研究、同じく東京大学の田中隆一教授による、移民大量流入が公教育に与える影響について研究など、日々多くの論文が発表されています。

 ところで、厚生労働省は「賃金構造基本統計調査」という調査を毎年実施しており、web上にその調査結果を公表しています。その中で学歴別平均月収を公表しています。最新版である令和6年度はデータの一部に不合理な点があり、今後修正される可能性があるため、ひとつ前の令和5年版のデータを使い、教育経済学的観点から学費の投資効果を計算してみました。(元データはこちら03.pdf

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 この統計データは学歴(最終学歴)を高校、専門学校、高専・短大、大学、大学院の5つの区分に割り振り、その平均月収を年齢別に調査したものです。調査では現在の年齢層ごとの平均月収ですので、同一人物が生涯にわたって得た収入とは異なるわけですが、現在の平均月収に労働年数をかけて(統計表の69歳まで労働するとして、つまり高校卒業なら労働期間は52年間)生涯給与を計算してみます。

 すると、「高校」では生涯給与が17590万円、「専門学校」では18120万円、「大学」では21277万円となります。「専門学校」と「高校」の差は431万円です。専門学校の学費総額はビジネス系で300万円、美容系で300万~350万円、医療系で400万円です。一方大学と高校の差は3687万円ですので、私立大学文系の学費が4年間で400500万円と考えると、リターンは7倍~9倍!投資効果は実に大きいということになります。

 因みに三井住友銀行の調査結果を元にした計算ですが、生涯消費額は平均で17270万円なのだそうです。これを元に租税公課や退職金などを考慮せずに収支を試算すると、「大学」の生涯収支は4000万円ほどの黒字となりますが、「高校」の生涯収支は318万となり、財産を残すのは難しそうです。とはいえ、これはあくまでも平均値であって個人の可能性を否定するものではありません。実際に同じ高校卒業でもロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手は、球団との契約金だけで1050億円で、莫大なCMの契約料を含めるととんでもない金額を受け取ることができますし、1972年から1974年まで総理大臣を務めた田中角栄は東京目白に大きなお屋敷を持つなど巨額の財産を築きました(評価が分かれるところではありますが)が、最終学歴は旧制尋常小学校です。

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 ここで、厚生労働省の資料に男女別の統計も公表されていたので同じように分析してみると、女子は男子よりも平均給与が低いことがわかります。特に「大学」では5559歳の月収で13万円以上に差が開いています。因みにその世代が就職時期を迎えた1990年前後は就職氷河期でした。男女雇用機会均等法が整備されつつある過渡期だったうえに、結婚、出産に伴うキャリアの中断が、管理職になる可能性を下げていたのかもしれません。これは「現在の」データですから、今後この差が縮まってくるとは思いますが、労働政策にもこれらのデータが活用されることを望みたいところです。

 閑話休題、「受験勉強」はどの程度の金銭的価値があるのでしょうか。これまた経済学的な計算をしてみました。進学校ではない普通の高校に通う高校2年生を想定した場合、これから18か月、一日3時間、学校の授業や宿題以外の受験勉強をして、大学をめざすという場面を想定してみると、総学習時間は18か月×平均30日×3時間=1620時間となるのですが、生涯給与の大卒と高卒の差から大学学費の400万を引いた3290万円をこの時間数で割ってみると2万円を超えます。つまり勉強の「時給」は2万円以上という計算になります。この結果は少なくとも、家庭環境によってやむを得ない場合や、プライスレスな社会経験が学べるという利点を除くと、高校生が時給1,000円程度のアルバイトで時間を切り売りするのは「お得ではない」という論拠にはなるでしょう。

 ところで、教育学の視点に立つと、教育の目的の一つには個人の可能性を引き出しつつ、自立した人格を育成し、社会に貢献できる人を育てることにあります。さらに人の豊かさや幸せというのは、金額で測れるものではないというのが教育学を支持する私の立場です。収入を得ることは人生を送る手段の一つであって目的ではないことは自明の理ですが、学歴を金銭化する事で個人の経歴に優劣をつける、損得を考えるというのは学問の正しい使い方ではありません。教育経済学は立派な学問ですが、個人の選択や評価に利用するべきではないということです。「タイパ・コスパを重視」という安易な価値観の広まりに対する警鐘でもあります。

 最後にエピソードを一つ。進学校に在籍し成績も優秀だった私の教え子がいました。小さいころから動物好きで、動物に触れあう仕事を求めて、トリマー(犬の散髪屋さん)の専門学校に行きたいと考えました。学校の担任には反対されたそうですが、ご家族のご理解もあって専門学校に入学、卒業し、先日大手のペットショップに就職できたとうれしそうに報告してくれました。私はこの選択を「コスパ」が悪いとは決して思えません。彼女は経済学では測ることができない豊かさを得て、充実した人生を送ることでしょう。

(参考文献)
厚生労働省 「令和5年賃金構造基本統計調査」 2024
三井住友銀行 「マネービバ!」生涯年収の平均はいくら?一生で必要なお金についても解説 2025
島一則 「教育の社会的効果―Sense of Coherenceに着目して―」生活経済学研究572023

 

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