2023/01/23

考えよう⑥「脳がやった~人間は自由なのか?~」

エス氏の裁判が注目を集めている。

怒りに任せて友人を殴りつけたエス氏は、その罪に問われ、今日がその初公判であった。

彼は罪を認めていたし、彼がやった証拠もあったが、弁護士は次のような弁論を行い、無罪を主張したのだ。

「証拠品として提出した、エス氏の脳の画像をご覧ください。こちらの脳には異常が見られます。すなわち、衝動的な犯罪に走りやすい性質を持っているのです。

──よって、この犯罪はエス氏がやったのではありません。エス氏の脳がやったのです」

はじめに

思考実験を通じて、哲学への興味や深い思考へと誘う『考えよう』の時間がやってまいりました。第六回は、《自由意志》について、科学的知見も取り入れながら考えていきましょう。

ここでいう《自由意志》とは、簡単に言えば、他の何にも影響を受けずに物事を考える能力です。「好きな作家やアーティストから影響を受けて~」という話ではありません。

詳しく見ていきましょう。

サイエンスの見解:物理法則は生まれたときから知っている

冒頭の文章は、アメリカの神経学者マイケル・S・ガザニガが提案した思考実験をもとにしています。神経学(脳神経科学)とは、神経の働きから、脳や人間について理解しようとする学問です。

科学は、人間を含む世界のすべては物理法則によって支配されていることを既に明らかにしています。脳の思考ですら、電気信号に過ぎないのです。その意味で、実は、人間の意志はもはや自由ではありません。物理法則を無視し、電気信号なしで思考することはできないのです。

さらにここで、イリノイ大学のルネ・バイヤージォンらが行った実験を紹介しましょう。生後三か月の赤ん坊の目の前にボールを置き、それをついたてで隠してから移動させます。ついたてを外すと、赤ん坊は驚いたのです。「いないいないばあ」みたいなものです。

なぜ驚いたのでしょう。それは、物体は急に消えることはないと知っていたからです。神出鬼没が当たり前の世界ならば、消えたボールに関心を払うことはありません。そしてこの反応は、世界中、どんな環境で育った子どもでも同様に反応します。つまり、物理法則は生まれながらに備わっているのです。その意味でも、人間に自由はありません。物理法則から離れたことを当たり前として考えることができないのです。

自由意志と責任能力:人間と脳は何が違う?

自由と責任は切り離せない関係にあります。

責任とは、自由であるからこそ、自由に行動を選択できるからこそ生じてくるものです。人間に自由意志がないとするならば──すべての行動が、物理法則など他の何かによって決定されているならば、人間はあらゆる行動に責任を負う必要がないのでしょうか?

現代科学において、「普通より攻撃的な脳」があるとする説が実際にあります。それによれば、脳の障害や神経回路の乱れによって、暴力行為や犯罪が引き起こされるとしています。だとすれば、冒頭のエス氏は、自分の意志と関係なく、コントロール不可能な脳によって罪を犯してしまったことになります。

日本の刑法に、「責任能力」という考えがあります。錯乱状態や心神喪失状態ならば刑事責任に問われないのです。

科学の発展によって、もし、上のような理論がより正しいとされ、より周知されるようになったとしましょう。われわれはエス氏のような人は責任能力がないとして、つまり人間個人ではなく脳に責任があるとして、無罪を言い渡すのでしょうか。人には「心」があり、「心情」や「社会通念」などにより判断される部分も往々にして存在します。

人、脳、そして心は、いったいどのような関係にあるのでしょう。また、どのような関係になっていくのでしょう。

あなたはどう考えますか?

そして、それはなぜですか?

――さぁ、考えてみましょう

まとめ:自由について、科学と哲学について考える

誰かをよく観察すれば、その人が何をしているのかは理解できるでしょう。しかし、何を考えているか、その人がどのような人であるかを理解することができるでしょうか?

脳と心の関係も、上のような関係です。脳の働きを理解できても、それが実際に心としてどう表れ出ているか、「どう感じているか」ということ自体は、ただちに理解できないのです。

科学は仮説と検証によって発展・修正されていくものです。今の科学のすべてが絶対正しいと言い切ることは不可能です。今回紹介した理論が、覆されることがあるかもしれません。そうすると、自由意志についての哲学的考察がもっと活発化していくでしょう。脳と完全に切り離して考えるようになるかもしれません。

科学をつくる仮説の元となるのは、他でもなく哲学的思索なのです──人間は自由なのか、自由とは何か? 心とは、脳とは......?

科学はこれからも発展していきます。ゆえに、哲学も、より深く長く、息を吸って吐くようになるのです。

終わりに

『考えよう』第六回はいかがでしたでしょうか。

次回は、第一回でも取り上げた「トロッコ問題」について、もっと詳しく掘り下げていきます。ではまた。

参考文献

岡本裕一朗(2019)『世界を知るための哲学的思考実験』朝日新聞出版

マイケル・S・ガザニガ(2014)『〈わたし〉はどこにあるのか――ガザニガ脳科学講義』藤井留美訳・紀伊國屋書店

<文/開成教育グループ 個別指導統括部 フリステウォーカー講師編集部:仲保 樹>